
消費デバイスや消費形態の多様化が進み、抜本的なビジネスモデル変革が求められているコンテンツ業界において、コンテンツに関連する権利の処理業務が変革のネックになっていると考えられます。一般的に、メディアで放送・配信されるコンテンツは、登場する実演家(出演者など)や、使用する音楽、原作、脚本などさまざまな権利の集合体で構成されます。日本のコンテンツ業界の商慣習では、権利の許諾について複雑な作業を要し、結果的にコンテンツのスピーディーなマルチメディア展開や海外展開を妨げる一因となっていると指摘されています。さらに、近年の権利意識の高まりによって、権利関係の業務は一層複雑化しており、課題はより深まる傾向にあるとも言えます。
コンテンツ消費者の世代交代と国内市場の縮小が進む中で、IP活用も含めたマルチメディア展開と海外展開のための環境整備は、メディア企業にとって中長期的に持続可能なビジネス構築に向けた死活問題とも言えます。複雑な権利処理の業務がより簡易になれば、コンテンツ流通のスピード・量がともに向上し、権利者側(出演者、原作者など)、メディア側(放送局・配信プラットフォーム)双方の利益になる形で、コンテンツ業界全体のビジネスが拡大することが考えられます。
従来技術では合理化が難しかったものの、近年登場したAI技術によって、コンテンツ流通のボトルネックとなっていた業務は一変する可能性があります。今後、こうしたコンテンツに関する複雑な業務フローを時代に合わせて整流化し、テクノロジーを活用して業務量を合理化することで、コンテンツ流通の活性化、ひいてはコンテンツ業界全体の活性化が期待されます。
コンテンツに関する権利処理業務は、大きく以下の2つのフェーズに分かれます。
前者は初回の公開に向けて権利状況や権利者を確認し、権料の交渉を経て、許諾を取得し、支払いを行う作業です。権利の種類も多岐にわたり、かつ権利状況の解釈について、権利者との関係や、成文化されていない慣習に基づいて判断が分かれるケースも多く、機械的な「マニュアル処理」は難しい領域となります。こうしたことから、コンテンツの制作当事者が、暗黙知も含め、権利に関する情報を網羅的に把握して対応することは現実的ではなく、多くのメディア企業では、ライツマネジメントに関する専門部署を擁して対応をしているのが現状です。前述の通り、販路の多様化、権利意識の高まりなどによって業務量は増加しており、PwCの調査では国内放送局で権利処理に要する時間は1番組で見た場合でも、年間累計で数百時間から企業やコンテンツの種類によっては1,000時間以上にものぼると推計されています。コンテンツの権利に関する解釈は、従来解釈を覆す新たな判例が出るなど、時を追って更新が続いており、コンテンツの展開方法の変遷に伴って権利者のニーズも時代とともに変化してきています。「1年前の正解が必ずしも現時点では正解とは言えない」中で、マニュアル業務を自動化するRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)などの従来技術での対応は難しく、多くのメディア企業では、ライツマネジメントの担当者の知識の更新を頼りに対応が行われているのが実情です。
しかし、近年登場したAI技術によって、権利に関する最新の法解釈や権利者特有の事情などを反映させながら、業務を自動化できる道筋が見えてきました。例えば、コンテンツにまつわる権利処理に関する判断の検討経緯や実績は、これまで構造化して蓄積することが難しかったものの、昨今の生成AIと、RAG(Retrieval Augmented Generation:検索拡張生成)と呼ばれる外部情報を効率的に検索するための技術を組み合わせることで、これまでは活用が難しかった社内文書から権利処理に関するナレッジを効率的に検索し、業務に活用することが可能となります。
また、生成AIの活用は、権利処理に関する過去の経緯や作法について熟知している熟練担当者の存在が不可欠だった問い合わせ対応業務を大幅に合理化・標準化する可能性も含んでいます。ここでポイントとなるのは、生成AIの回答精度・品質を高めるため、生成AIの回答が誤っていた場合には担当者が正しい回答をフィードバックするような仕組みを構築することです。FAQの情報量を増やしつつ、回答の精度を向上させていく仕組みを構築していくイメージです。
一方、制作済みや、1次展開済みコンテンツの2次展開以降の権利取得も、展開担当者の間では大きなハードルになっています。特に、日本国内では多くの場合、権利者との間で単年度での権利の交渉・更新が慣例となっており、メディア企業にとっては、マニュアル化・テンプレート化が難しい権利処理作業に対し、いかに工数をかけずスピーディーに権利処理を進めるかが、マルチメディア戦略の鍵になるとも言えます。
近年は、2次展開以降の戦略も考慮に入れた上でコンテンツ制作を企画するケースも増えてきているものの、2次展開以降の権利の許諾が得られていない過去の作品を再び放送・配信する際には、関係する全ての権利者と交渉し、権料などを合意、再度許諾を得る必要があります。特に、2次利用に対する権利意識が高くなかった時代の作品を活用するには、コンテンツに関係する権利を洗い出す作業から始め、交渉のアプローチや作法が異なるそれぞれの権利者との交渉に臨むことになります。権利者との交渉経緯は、多くの場合、制作担当者の「頭の中」にあるケースが多く、権利内容の確認・把握から権利者との交渉、料率の決定、契約に至るまで、単純なマニュアル化が難しく、生成AIを活用するにしても、ケースに応じた異なるプロンプトエンジニアリングが必要となります。
そこで、大まかなプロセスを事前に定義し、自律的にタスクを実行する技術「AIエージェント」が注目されています。社内にあるコンテンツに関する契約や、権利者との交渉履歴に関する情報などを参照し、権利者や料率、アプローチ方法などを提示するモデルをAIエージェントで構築できれば、権利の許諾に向けた業務は大幅に省力化できる可能性があります。
図表1:コンテンツ権利状況確認のためのAIエージェントモデル例
コンテンツ流通のボトルネックとも言える権利関連実務の合理化は、日本のコンテンツ業界全体の活性化において必須の検討課題であると考えられます。同時に、メディア企業にとっては次世代の不確実なメディア環境を生き抜くために必要不可欠な課題でもあり、課題を解決する可能性のある最新技術を導入した業務合理化を検討すべきです。
ここで留意すべきは、AIの活用は業務合理化のツールに過ぎず、ツールにインプットするデータや、期待する業務/効果(想定するインプットと期待するアウトプット)を明確にしないと、生成AIの効果は評価できないということです。つまり、AIの活用を導入するにあたって、以下の準備が必要であることを理解しておかなければなりません。
テクノロジー導入の効果を最大化するには、ソリューションに対する期待値の設定、つまり自社における現行業務の把握と可視化、およびあるべき業務像を言語化できるようにすることが大前提です。企業としてどのような知財戦略を目指すのか。そしてその戦略実現のための最適な業務像はどのようなものか。現行業務との差分から見て、改善の優先度が高い業務領域はどこか。企業としての全体戦略/ゴールを念頭に置いた「あるべき業務」をどれだけ詳細に設計できるか。そうした現行の業務をどれだけ言語化できるかが、成功の鍵を握ると言えます。
私たちはクライアントのテクノロジー導入および業務改善の取り組みを支援することで、コンテンツ流通を加速させ、業界の潜在性を成長につなげる未来をともに築いていきたいと考えています。