(左から)久米 雅人氏、北崎 茂
ビジネス環境が急速に変化する中で、事業戦略の実現のためには人材戦略との連動が不可欠になっています。一方で、日本企業を見渡してみると、いまだに多くの企業が人材データの構築や活用に課題を抱えており、事業戦略の実行に必要とされる人材ポートフォリオに基づくスキルマネジメントの実現に向けては、途上の段階にいます。
PwCコンサルティング合同会社は、2025年7月、企業の横のつながりを強化するタレントコラボレーション・プラットフォームを提供するBeatrust株式会社と業務提携を行いました。本提携は、Beatrustが持つ生成AIを活用したテクノロジーと、PwCコンサルティングが有する人材マネジメントやカルチャー改革のノウハウを融合することにより、企業におけるスキルマネジメントの高度化を支援し、事業戦略と人事戦略の連動、さらには社員一人ひとりの効果的なキャリア開発の実現を目指すものです。
今回は、Beatrust株式会社 共同創業者の久米雅人氏と、PwCコンサルティング合同会社 執行役員 パートナー 組織人事コンサルティングリードの北崎茂が対談。日本企業が真の競争力を持つカルチャーを構築し、個人の多様性と組織の力を両立させる新しい働き方を実現するためのアプローチについて議論しました。
北崎:
Beatrustは、社員間のネットワークの強化やコラボレーションを重視し、生成AIを活用したテクノロジーでその実現を図っています。今回は、社内ネットワークの強化と連関する組織カルチャーについても議論していきたいと考えています。
PwCが実施している調査では、組織カルチャーに対する重要性が急速に高まっていることが明らかになっています。2020年以降、グローバル規模でその傾向が顕著になりました。コロナ禍により従業員が物理的に分散する中で、組織の一体感が希薄化し、結果として生産性の低下やイノベーション創出力の減退が課題となったのです。データを見ると、「組織カルチャー」というキーワードの検索頻度は、2019年から2021年で約50倍に増加しています。経営層がカルチャーを重視する割合も、2013年の53%から、21年には66%まで上昇しました。
ただし、日本はグローバル水準と比較すると、まだ組織カルチャー醸成の面では発展途上にあります。カルチャーに対する意識、特にイノベーションやコラボレーションといった要素への関心度は、諸外国と比べて相対的に低い水準にとどまっているのが現状です。久米さんはその状況をどのように分析されていますか。
久米氏:
私がBeatrustを創業した背景には、日本企業が抱える構造的な課題への問題意識がありました。日本企業では、個人のアイデンティティと組織人としての役割が乖離していることも少なくないのではないかと考えています。私的な話になりますが、私の父は大企業に勤務しており、家では非常にユーモアがあり、いろいろなことを教えてくれた思い出が多くあるのですが、企業人としてはある程度の型に自身をはめていたように感じます。
周囲を見渡しても、日本企業ではある程度組織的・伝統的な働き方を重視するカルチャー、外資系企業では個人の意志や強みを生かしながら協働するカルチャーを持つように感じています。
「個で働く」と言うと、自分勝手にやりたいことをやる、と誤解されることもあるかもしれませんが、実は全く逆。目標が共有されていることで、そこに向けてそれぞれの強みを最大限生かし、チームワークを重視してパフォーマンスを発揮するという、チームも個人の能力も最大化される働き方なのだと考えています。
日本企業においても、個人が本来の力を発揮できる環境を構築することが必要です。私たちの目標は、より働きやすい環境を実現し、個人のアイデンティティと仕事の成果が直結するような組織変革を支援することです。
北崎:
久米さんがおっしゃるように、個人のアイデンティティといかに仕事や組織の成果につなげるかは非常に重要な要素だと私も感じています。一方で、そこに対して日本企業はまだ多くの課題を抱えていると感じていますが、こうした変革推進の難しさは、どのような点にあるとお考えでしょうか。
久米氏:
トップダウンとボトムアップの両方が必要でありながら、どちらも単独では機能しないという「サンドイッチ構造」が要因にあるのではないかと考えています。現場レベルでの強い推進意欲があっても、経営層の承認がなければ息切れしてしまいます。逆に、経営層が指示を出しても、現場にその意欲がなければ実行に移されません。成功するためには、双方からの働きかけが不可欠なのです。
北崎:
双方からの働きかけは確かに重要ですね。その中でも私が特に重要視しているのが「変革推進者」の存在で、これは個人でも集団でも成り立つと思っていますが、ポイントは企業が意図的に推進者を「創出」するという点です。新しいツールや施策の導入・浸透にはトップダウンのアプローチが必要です。例えば、外資系企業でよく見られる「チャンピオン制度」のように、現場のリーダーに、新たな方針を展開するための「伝道師」としての明確な役割と権限を付与し、インセンティブと併せて組織的な仕組みとして機能させることが必要不可欠だと考えています。
久米氏:
興味深いのは、日本企業では単一の推進責任者を置くのではなく、異なる部署から3~5名が集まってコミュニティ型の推進体制を構築するケースが多いことです。実際に私たちのツール「Beatrust」を導入する際の社内事務局でも、このような体制を敷く企業は多いのです。これは極めて日本的な方法だと感じています。チャンピオンやリーダーが不在でも、メンバーの熱意があれば十分に機能します。一方で、責任の所在や推進者のリーダーシップを育成するという観点から見ると、個人にあえて権限を与えて任せるやり方も重要ではないかと感じることもあります。
北崎:
実際にBeatrustではこれまで多くの企業のカルチャー変革を推進してきましたが、その具体的な事例や効果について教えていただけますか。
久米氏:
「Beatrust」は、組織内における従業員同士の自律的な協業を促進し、タレントコラボレーションを実現するプラットフォームです。社内のスキルやパーソナリティーを可視化するプロフィールサイト「Beatrust People」、業務課題をスピーディーに解決する社内専用のQ&Aサイト「Beatrust Ask」のほか、非構造化データであるさまざまな文章から生成AIによって社員のスキル情報を抽出し、最適な人材を素早くレコメンドする「Beatrust Scout」などの機能を有します。
Beatrust株式会社 共同創業者 久米 雅人氏
代表的な成果事例は2つあります。
第1に、オンボーディングプロセスの改善の事例です。新入社員が入社する際、従来の紙媒体による紹介に代えて「Beatrust People」を活用することで、全社員が新入社員の詳細なプロフィールを把握できるようになります。実際に4月はアクセス数が跳ね上がります。
研修期間中に関わる先輩社員たちも、相手の背景や専門性を事前に理解できるため、より効果的なコミュニケーションが実現し、結果として新入社員の組織適応が大幅に向上します。もちろん、中途入社の方でも同じですね。
第2の事例として挙げられるのが、設備などの情報共有によるコスト削減です。ある企業の社員が800万円の流動測定器を必要としていたときに、「Beatrust Ask」上で問い合わせたところ、グループ会社の社員から「当社の倉庫にあります」という回答が得られました。従来の組織構造では絶対に実現し得なかった横断的な情報共有により、100万円の移設費用で済み、700万円のコスト削減を実現できました。
北崎:
組織内のコミュニケーションが活性化することにより、ネットワークが広がるという観点だけでなく、その先にある社内のナレッジや、時として潜在的な技術や施設などの活用にもつながるということですね。一方で、こうしたネットワーキング的な話は、これまでも社内SNSなどを利用して同様の取り組みをしている企業もあったかと思いますが、こうした既存のSNSのような枠組みと「Beatrust」の違いはどういった点にあるのでしょうか。
久米氏:
私たちのツールの根幹は、人材のプロフィールページにあります。「Beatrust」に蓄積されるのは、個人しか知り得ない、詳細な経験や専門性に関するデータです。特に重要なのは「やわらかいデータ」。これは優れたビジネスパーソンが持つコンピテンシーを網羅した質的な情報で、人材マッチングで真価を発揮します。単なる機能的なマッチングではなく、人間としての多面性を理解した上でのコラボレーションが可能になるのです。
例えば、海外プロジェクトのメンバーを探しているときに、「英語ができる」という情報だけでなく、「なぜ英語ができるようになったのか」「どのような場面で英語を使ってきたのか」「海外生活の経験があるのか」といった背景情報まで含めて人材をマッチングできます。このやわらかいデータが、従来の情報共有中心のSNSとは根本的に異なる価値を生み出すのです。
また、ヒエラルキーが強い企業の場合、それをたどって情報収集していると非常に時間がかかり機会損失につながります。組織横断のネットワークを強化することで、よりスピーディーで効果的なコラボレーションが生まれると考えます。
北崎:
従来の社内SNSが固定化・形式化された情報の伝達に重点を置いているのに対し、「Beatrust」は人材がつながるための情報要素に焦点を当て、リレーションシップやコラボレーションといった人と人との結び付きを創出することに特化している。情報だけのやり取りであれば、そのトランザクションが終了すれば関係性も終わってしまいがちですが、人と人とがつながることで、その後も持続的に新たなトピックや協力関係が生まれ、組織全体のダイナミズムが高まっていく。このような状態を創出することが、Beatrustの目指すゴールなのですね。
一方で、小規模なトライアルから全社規模の本格導入へと進んでいける企業と、試験導入の段階で終わってしまう企業があるかと思いますが、その違いはどこにあるのでしょうか。
久米氏:
率直に申し上げると、「Beatrust」はツールでしかありません。これを使ってカルチャー変革の機運を作り、実現していくのは各社の努力によるところが大きいのです。
実際に全社規模で「Beatrust」を活用し、顕著な成果を上げている企業に共通するのは、私たちのツールがなくても自主的に変革に取り組もうとする意志と準備が既に整っていること。経営層から現場まで、濃淡はありながらも変革への意欲を共有している企業では、私たちのツールが触媒として機能します。
一方で、そのような準備が整っていない企業においても、特定の部署や事業部において急激に変化が起こることがあります。段階的なアプローチにより変革の土壌を育成することは可能だと考えています。
北崎:
もともとコラボレーション文化を重視していた企業では理想的にフィットするということですね。個々の事業体や組織レベルでは、新しい働き方を模索している部署も少なくないと思います。一つの部署で成功事例を作り、こうした成功事例を積み重ねることで、他の部署の関心を高めていく「オセロゲーム」のような戦略的なアプローチが重要ですね。
一方で、企業側もどういったカルチャーを目指すのかを理解する必要がある。私は「強いカルチャー」と「競争力のあるカルチャー」は別物だと考えています。例えば、上意下達のカルチャーは確かに組織をより強固にする傾向がありますが、それが必ずしも持続的な競争優位性に結び付くとは限りません。
カルチャーは企業価値の実現手段として位置付けるべきです。企業が社会に提供したい価値を明確にし、その実現に最適なカルチャーを設計する。この論理的な整合性がなければ、従業員の納得感も得られず、カルチャー変革は成し遂げられないはずです。
北崎:
PwCはこれまで、多くの組織のカルチャー変革を支援してきました。特にM&Aの場面では、異なる文化を持つ組織を統合し、新しい組織文化を創造するという困難な課題に取り組んできました。
久米さんが先ほど指摘したように、組織変革においてツールやプロダクト単体では限界があり、また同様に手法論だけでも不十分です。Beatrustが提供するような有効なツールと、それを組織全体に浸透させる方法論を統合的に提供することが重要だと考えています。その点、7月にBeatrustとPwCコンサルティングがアライアンス締結したことにより、双方が持つテクノロジーと組織変革のノウハウが融合され、日本企業におけるカルチャー変革を加速させることが可能になったと思っています。こうした動きを目指すアライアンスの中で、久米さんがPwCに寄せている期待について教えていただけますか。
PwCコンサルティング合同会社 執行役員 パートナー 組織人事コンサルティングリード 北崎茂
久米氏:
PwCは長年にわたり日本の大企業の人事制度や組織文化の変革に直接関与されてきた、豊富な実績をお持ちです。私たちとは異なる領域で変革に取り組まれている、非常に心強いパートナーだと認識しています。
特に重要だと考えているのは、カルチャーの多様性に対する理解です。テック系企業では西海岸的なオープンでコラボレーティブな文化が特色としてある一方で、これが必ずしもグローバルスタンダードではないという認識も持っています。例えば、ソフトウェア業界では「迅速性の重視」「失敗からの素早い学習」が重要視されますが、航空機産業のように安全性が最優先される業界では、全く異なるアプローチが求められます。
PwCコンサルティングは個社ごとの特性や業界特性を深く理解し、それぞれの企業の良さを引き出すアプローチを蓄積しています。私たちのツールも、画一的な適用ではなく、各企業の文化や段階に応じてカスタマイズされた導入アプローチが必要です。このような高い解像度での理解と支援が、今回のパートナーシップで実現できることを期待しています。
北崎:
ありがとうございます。私は日々企業を支援している中で、企業変革が停滞する要因の一つは、高度成長期の成功体験の引力だと感じています。長期間にわたって機能した仕組みや価値観があるからこそ、変化への対応が遅れがちになる。
しかし、実際のところ、こうした状況に対する理解は多くの企業が持っていると思っており、企業における組織カルチャーの重要性は多くの経営者が認識しています。しかしながら、組織カルチャーを持続的にマネジメントするための仕掛けが整備されているかというとまだ途上であり、この構造を変えていくことが今の日本企業にとってはとても重要なアジェンダになると感じています。
この課題に対して、支援ツールの存在は強力な変革ドライバーとなり得ます。カルチャーという抽象的な概念を、具体的なツールを通じて体感できるようにすることで、変革のきっかけを作ることができるのです。
今回の協業を通じて、日本企業が真の競争力を持つカルチャーを構築し、その中核としてコラボレーションとリレーションシップの価値を位置付けられるよう支援していきたいと考えています。