【水素基本戦略と産業界が求める姿】―水素基本戦略の改定目標によって日本は水素社会を実現できるのか―

2023-08-16

※2023年7月に配信したニュースレターのバックナンバーです。エネルギートランスフォーメーション ニュースレターの配信をご希望の方は、ニュース配信の登録からご登録ください。

日本政府は2023年6月に、6年ぶりに水素基本戦略を改定しました。日本は2017年に世界で初めてとなる国家的な水素戦略を策定し、当時は「水素先進国」とも言われていましたが、この6年間で他国がより積極的な政策を打ち出しています。世界各国が最近になって水素政策を進めた背景には、2022年のロシアのウクライナ侵攻以降、欧州を中心にエネルギー安全保障の観点からも脱化石燃料および代替となるクリーンエネルギーへの移行を進めたことが一因にあります。この6年間で日本の優位性は薄れてきており、他国に後れを取らないためにも基本戦略の改定が必要となっていました。

今回の改定では、水素供給量の目標は引き上げられましたが、コストを含め多くの項目は前回戦略からの維持にとどまっており、記載が削除された項目も見受けられます(図表1)。これらを踏まえると、今回の改定の内容は、野心的というよりは現実路線への見直しといった側面が強いように思われます。果たして改定された目標は日本の水素社会の実現を導くことができるのでしょうか。本稿では、改定された目標と比較しながら日本の産業界にとって必要な水素の供給量やコストを考えてみたいと思います。

図表1 水素基本戦略新旧比較表

日本の製造業では、①鉄鋼・非鉄②化学③窯業・土石(セラミック・ガラス・セメントなど)④機械の4セクターがエネルギー消費量が特に多く、脱炭素においても重要なセクターとなっています(経済産業省2021年度総合エネルギー統計より)。この中でも④機械を除く3セクターは生産工程において水素の適用性が高いと考えられており、集中して移行に取り組むべき分野と考えられます(図表2・3)。

図表2 製造業における水素の適用可能性
図表3 主要分野における欧州の水素受け入れ態勢の状況

図表3のとおり、鉄鋼・非鉄産業は欧州を中心として水素の受け入れ態勢が整いつつあり、水素展開が最も期待される分野ですが、2022年の年間銑鉄生産量をまかなうための必要水素量は577万トンとPwCは試算しています(図表4)。脱炭素展開での重要産業となる化学産業においては、代表的な石油化学基礎製品であるエチレンの年間生産量を水素で代替して製造した場合、必要水素量は695万トンです。

また、製造業以外でエネルギー消費の大きい運輸業において、水素車両で代替可能な車格を全てFC化した場合の年間必要水素量は600万トンと経済産業省は試算しており、これら3業種だけでも政府の2050年目標の「最大2,000万トン」に近づくことになります。その他にも、発電利用に約578万~667万トンが必要と想定されていることなどを考慮すると、政府目標の2,000万トンでは、水素社会実現に必要な需要をまかなうことができない可能性が考えられます。

図表4 産業セクター別の必要水素量想定

コストについてはPwCの試算では、鉄鋼業において、現状の炭素還元コストと等価にする場合の水素価格(パリティコスト)は約15円/Nm3であり、石炭を主な燃料とする窯業・土石業では約16円/Nm3となります。これらの水準は、政府の掲げる2050年の目標コスト20円/Nm3では現状の製造コストを上回ります。これに対し、化学産業において現在と同量のエチレンを水素を利用して製造する場合のパリティコストは26円/Nm3、運輸産業におけるトラックのFC化には63円/Nm3と、政府目標でまかなえる水準となっています。

ただし、この試算は水素を国外で製造し輸入することを前提にしており、昨今の資源高や円安を考慮する必要があります。現状で供給される水素の大半はLNG由来かつ輸入を前提としたグレー水素※12のため、ウクライナ侵攻や脱炭素の潮流からの化石燃料資源高や円の弱体化は水素自体の価格も上昇させてしまう可能性が高いと考えられます。これに対して、既に導入されている再エネ設備の余剰電力などを活用して生産されたグリーン水素※13は、燃料価格や為替影響を回避することが可能です。

以上で見てきたように、改定された水素戦略における目標値は、価格・供給量の両面で、水素社会の実現に向けて課題があると考えられます。課題の解決に向けては、価格面で外部環境の追い風を享受し、供給面でのギャップを埋めていくためにも国内の水素製造を増やしていくことが一つの方向性と考えられます。その際に不可欠となるのは民間投資を促す資金となります。欧州ではEU復興基金を基に脱炭素化プロジェクトが進んできている背景があります。欧州で脱炭素化プロジェクトが進んでいるスペインの場合、8割が民間からの資金となっており、民間企業の取り組みの重要性が示されています。日本でも2023年度から10年間で20兆円規模のGX経済移行債の発行が決まり、水素導入量を増やすための起爆剤となることが期待されています。

PwCでは水素カルキュレーター※14などのツールをご用意しており、貴社プロジェクトの経済的実現性の計測など、グローバルでの知見を活用したご支援をしております。水素社会構築に向けた価値創出にご興味がある方は、お気軽にご相談いただければ幸いです。

さらにご興味のある方は、PwCが発表している下記の水素関連レポートをぜひご覧ください。

※1 水素供給量目標が2023年時点で大幅に増えている理由は、政府が今回の改定でアンモニアも含めた目標数値を設定したため。

※2 経産省資料より

※3 ST(ステーション)販売価格とは一般的な国内水素ST価格。

※4 CIF価格とは輸入水素の日本の入着価格。定義が違い、100円を30円・20円/Nm3にコストダウンさせるというシナリオではない。

※5 低コスト化は当初目標から乖離。車載水素タンク圧力を低下させると航続距離は減少するが、製造コストは低減する。低圧力水素の提供なども視野に目標を再検討中。

なお、上記数値は水素基本戦略以外に、経産省、環境省などの資料も参考に、2017年当時と最新の定量目標などをまとめている。

※6 経産省資料より

※7 鉄鋼・非鉄セクター試算:日本鉄鋼連盟発表の全国鉄鋼生産高を基に、2022年銑鉄生産量を水素還元で製造した場合の必要水素量をPwC試算

※8 化学セクター試算:石油化学協会発表の2021年までのエチレン年間生産量と同等量を製造した場合の必要水素量をPwC試算

※9 窯業・土石セクター試算:2021年度総合エネルギー統計におけるセメント焼成、板ガラス、他窯業・土石製品製造業の最終エネルギー消費量を水素換算しPwC試算

※10 運輸セクター出所:経済産業省「水素・アンモニアサプライチェーン投資促進・需要拡大策について」、現在開発中の車格をFCトラックへの代替可能領域と想定

※11 発電セクター出所:経済産業省「水素・アンモニアサプライチェーン投資促進・需要拡大策について」

※12 グレー水素:化石燃料から抽出される水素。主原料には炭素が含有されており抽出プロセスにてCO2が排出される。

※13 グリーン水素:水を電気分解し、水素と酸素に還元して生成される水素。利用する電気は、風力や太陽光などの再エネを利用することでCO2排出させることなく水素製造が可能となる。上記グレー水素とグリーン水素の他にブルー水素がある。ブルー水素は、化石燃料から抽出される水素であるが、水蒸気メタン改質や自動熱分解で水素とCO2に分解し、CO2を大気排出する前に回収される水素である。

※14 https://www.pwc.de/en/energy-sector/hydrogen-an-essential-element-of-the-energy-transition/hydrogen-calculator.html

執筆者

神島 文平

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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