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「Mini Transat(ミニトランザット)」というヨットレースがあります。フランスの小さな港町レ・サーブル・ドロンヌから、アフリカ大陸沖の島を経由し、カリブ海東部のフランス領サン・フランソワまで、約7,500kmを単独で航行する過酷なレースです。来る2025年9月、このレースに日本人女性として初めて参加するのが、高原奈穂選手。自らの挑戦で社会に新たな可能性を切り開こうとする彼女は、PwCコンサルティングが取り組む「社会的インパクトの創出」を体現する存在でもあり、同社は2024年7月から高原氏のスポンサーとなっています。会社員の仕事とヨットレースへの参加を両立し、加えて起業家のようにレース用船艇の購入費用や支援者を集めてきた高原さんが、どんな思いで同レースに挑むのか、PwCコンサルティングで「ソーシャル・インパクト・イニシアチブ」をリードする宮城隆之チーフ・インパクト・オフィサーと語りました。
出演者
高原 奈穂氏
PwCコンサルティング合同会社 パートナー 上席執行役員 チーフ・インパクト・オフィサー
宮城 隆之
※法人名、役職などは掲載当時のものです。
左から、宮城 隆之、高原 奈穂氏
宮城:
壮大で画期的なチャレンジですね。まず、「Mini Transat」とはどんなレースか、紹介していただけますか。
高原:
Mini Transatは1977年から続く歴史ある「外洋ヨットレース」です。全長6.5mの小型ヨットで大西洋を単独横断し、3週間にも及ぶ孤独で過酷なサバイバルで外洋ヨットレースの「登竜門」としても知られています。開催は2年ごとで、世界中から90人の若手セーラーが集まり、参加者の平均年齢は33歳前後です。
レースの特徴は、とてもシンプルな環境で行われることです。船内には最低限の水と食料、着替え、修理道具などしかなく、スマートフォンやパソコンは使用禁止です。コミュニケーションツールはラジオとVHF通信のみで、本当に自分と海だけの世界になります。
宮城:
約7,500kmもの距離を1人で航海するのは想像を超える挑戦ですね。ほぼ半世紀の歴史でこれまで世界各国から延べ約2,000人が同レースに参加してきたとのことですが、そのなかでアジアからはどれくらいのセーラーが挑んできたのでしょうか。
高原:
アジアからは、わずか5人です。日本人の女性では私が初めてで、また、日本人としては最年少での挑戦になるそうです。参加するには、予選レースへの出場や、規定の1,000海里(約1,852km)航路の単独走破など、厳しい条件をクリアしなければなりません。
宮城:
出場すること自体、簡単ではないレース、ということですね。では、挑戦しようと思ったきっかけは何だったのでしょう。私自身、若い頃から「新しいことに挑戦する」大切さを感じてきたので、高原さんの「挑戦の原点」にとても興味があります。
高原:
1つのきっかけは大学時代、「慶應クルージングクラブ」に入部したことです。それ以前から家族と一緒にヨットに親しんでいたのですが、大学で初めて、自分の意思でセーリングに取り組みました。
とはいえ、当時のクルージングクラブは部員がわずか1人で、廃部寸前の状態でした。65年間も続く歴史あるクラブを存続させるため、私は初の女性主将となり、卒業生の方たちからの協力も得て、新入部員の勧誘に奔走し部を再興しました。その経験を通して、若くて経験が浅い者でもその「フレッシュなアイデア」には価値を認めてもらえることや、そのアイデアを「先人の知恵と組み合わせる」ことの大切さを学びました。
大学3~4年生の年次はコロナ禍でほとんど学校に行けずオンライン授業ばかりだったのですが、やがて就職活動の時期になりました。就活のなかで「私が本気でやりたいことって何なのだろう」と考え続けていました。自分が純粋に興味を持ち情熱を燃やせるものは何か──という問いに立ち返り、「長距離のセーリングに真剣に取り組みたい」と思い至りました。
そんなとき、ヨットレースの最高峰であり、世界で最も過酷といわれる「Vendée Globe(ヴァンデ・グローブ)」に出場した白石康次郎さんのことを知り、「何かお手伝いできませんか」とホームページから連絡したところ、お返事をいただいたのです。ご縁があり白石さんをお手伝いしながら、外洋セーリングについて詳しく知ったことが、今回のMini Transatへの挑戦のきっかけです。
宮城:
その行動力に敬意を表したいです。ところで高原さんは、これまでに「挫折」の経験はありましたか。私自身はキャリアのなかで挫折と向き合った経験が今の自分を形成していると感じています。困難をどう乗り越えるかは、プロフェッショナルとして非常に大切な要素だと考えています。
高原:
「挫折」と呼ぶのが適当かどうか分かりませんが、「今のままの自分でいいのか」という自問自答、自分の「価値観の問い直し」を中学・高校の時期から繰り返していたことを覚えています。
神戸で通っていた中学・高校では受験勉強中心の生活を送っていました。ただ、大学受験を前にして、苦手だった数学をどれだけ勉強しても優秀な友人に追いつけず、数学を使う受験では全敗してしまいました。本当に落ち込んでいたのですが、そのなかで「偏差値や順位など周りとの比較で自分を測っているかぎり、私は幸せになれないのではないか……」と感じたのです。自分が本当に関心のあることは何か、「幸せになるために持つべき価値観」とは何なのかを、思い悩みながら探っていました。
入学した慶應義塾大学では、多様なバックグラウンドを持つ仲間と出会い、また「クルージングクラブ」の活動を通し、視野が広がりました。そのなかでもたびたび「自分らしさとは何か」という問いを重ねながら、紆余曲折を経て「外洋セーリングへの挑戦」という答えにたどり着いた——そんな感じです。
宮城:
高原さんは、会社員としての仕事と、ヨットレースへの挑戦とを両立なさってきました。そんなワークライフバランスを大切にすることは、一般的に日本の企業文化のなかでそう簡単ではない面があると思われます。どんな工夫で仕事とヨットを両立されてきましたか。
高原:
2022年4月、新卒で都市銀行に入行し、フルタイムで法人営業の業務に従事しました。当初は土・日・祝日や有給休暇を利用してセーリング活動を続けましたが、2023年4月から、会社が新たに導入した「週休4日制度」を活用しました。月・火・水の3日間で従来と同じ量の業務をこなすことで、セーリング活動により多くの時間を割けるようになったのです。
とはいえ週休4日制を利用することは、周囲に負担をかけます。出社日以外に顧客から私に電話があると、同僚が「高原は本日休みで……」と対応しなければなりません。それでも幸いなことに、会社が「今の時代にはこのような働き方が必要」というメッセージを社内外に発信してくれていたので、制度を活用できました。特に社内向けに発信し続けてくれたことが心強く、とてもありがたいことでした。
その後、休職制度の適用対象としてセーリングプロジェクトが該当しないと判断され、悩みました。2024年8月、「うちの社員としてその計画を実現してほしい」と支援を申し出てくれた今の会社に移籍し、現在は休職扱いの下でセーリングに専念しています。
宮城:
企業には、多様な人材が自社で活躍できる環境づくりが重要だと私も日ごろから考えています。社員一人ひとりが、それぞれの価値観に基づき自分らしい働き方を追求できる文化こそが、結果として組織の力を強化すると思うのです。高原さんのような「パラレルキャリア」という働き方が日本でもっと広がるには、何が必要だとお考えですか。
高原:
働き方の「多様さ」は、ある日突然実現するものではなく、時間をかけて組織に浸透していくものだと思います。でも多様性を実現するためには誰かが先陣を切ってアクションを起こす必要があります。たとえて言うと、“トンネルを掘るような”感覚——「いつ貫通するんだろう?」と思いながらも、掘り続けなければ光が見えることはありません。トンネルを掘る人にとっては手探りであっても、それが貫通すれば「新しい道が通った!」とみんなが変革を認識するのです。
「変革」をもたらす地道な取り組みには、周りの理解と支援が必要です。組織のトップが「このような働き方も認める」というメッセージを発信し、制度が整備されて利用者が増え、さらに共感の輪が広がっていくことで、新しい働き方にチャレンジしやすくなるのではないでしょうか。ブレないビジョンを設定したら、一歩一歩進み続けることが大切だと考えています。
真のプロフェッショナルは、目標に向かってストイック一点張りで突き進むというより、うまくいかないことがあれば「今は大変な局面だね」と冷静に現状を分析しながら、前に進み続けるしなやかな強さを持っている方だと思います。私も、不確実性と困難にたった一人で対応していく外洋ヨットレースを通じて、真のプロフェッショナルの素養を身に付けていきたいです。
高原 奈穂氏
宮城:
高原さんの挑戦は、「起業家精神」にも通じる面があると私は思います。私自身、マイナースポーツに身を投じる機会があり、そこから学んだ「未知の領域に挑む勇気」「仲間を巻き込んでいく力」が、今の業務にも生きていると感じています。とりわけ、誰も知らないことに挑戦するときの孤独感や、それを乗り越える過程は、ビジネスの起業と共通していると思うのですが、いかがですか。
高原:
おっしゃる通りだと思います。マイナースポーツは、それを世に広めるための既存の枠組みが用意されていません。私の場合は、自分で世界のヨットレースを調査・比較し、各大会そのものの価値、人々がいろいろな形でそこに関与・参画することで得られるメリット、自分が挑戦する理由などを考え抜き、ビジョンを描くことから始めました。資金集めにも奔走したなかで、起業家に近い発想力や行動力が身に付いた気がします。
自分の専門分野だけでは広がりに限界があるので、分野を横断して輪を広げていくことも求められました。広く社会との関わりを見いだしながら自分の構想実現を目指す点は、「起業家の姿勢」と共通していると感じます。
宮城:
ヨットを購入し、プロジェクトを開始するのに約1,500万円の資金を調達されたという高原さんのご経験も、非常に起業家的ですね。資金調達の過程は、事業の本質を見つめる重要な機会でもあります。スポーツの世界での資金調達にはどのような特徴がありますか。
高原:
私は銀行で働いていたので、お金の大切さや、企業の方々が商品・サービスを生み出すためにどれほど苦労なさっているのかを目の当たりにしてきました。ですからただ単純に「私の夢のためにお金を出してください」とお願いすることは、不適切だと考えました。
外洋ヨットレースは日本ではマイナースポーツでMini Transatは大きな知名度があるレースとも言えません。「投資として良いチャンス」「広告宣伝として効果的」など、自分の本心にないことを言っても相手には響きません。そこで私は、もっと深くにある価値を言語化することにしました。そして、社会課題とセーリングプロジェクトの接点を明らかにしながら、社会に還元される価値を持つ若者のユニークな挑戦ですと、プロジェクトを売り込んでいきました。
始めは商品提供やプレゼン内容へのアドバイスなど、お金以外の形でのサポート、その後は少しずつ大きな規模へと広がっていきました。ただし船の購入費用は自分で借金をして工面しました。特に苦しかったのは、ヨット購入のスポンサーシップが直前でなくなってしまったときです。「2カ月後に頭金を払う予定なのに、お金がない」という大ピンチで……自分で借りるしかないと決断しました。追い込まれると人間は行動するものだと、心底、実感しました。
PwCコンサルティングを含む複数のスポンサー、またモーターボートなどのマリン事業を強化しようと計画しているメーカーさんが新たなスポンサーとして決まり、Mini Transatプロジェクトは大きく前進しています。
左から、高原 奈穂氏、宮城 隆之
宮城:
「挑戦を後押しすること」は、企業にとっても重要だと強く感じます。ただ、ともすると提案された挑戦の「穴」を指摘してリスクを減らすことに注意が向き、結果的に「角」が取れすぎた面白くないプロジェクトになりがちな傾向があります。企業の文化としてレビュー重視になってしまうきらいはどうしてもあると思いますが、どのようにバランスを取るのがよいとお考えですか。
高原:
会社のなかで「トンネルを掘る人」を支援する文化がとても重要だと感じます。私自身、会社員としての経験と、セーラーとしての挑戦を通じて、両方の世界から学んでいます。新しく価値を生み出すため、何かに挑むときに失敗するのは自然なことです。失敗を失敗で終わらせない覚悟を持って大義に向かって行動しなければ、新たな価値は生まれないかもしれません。
宮城:
企業にとってのプロフェッショナリズムとは、単に失敗しないことではなく、常に新しい価値を生み出し続ける姿勢にあると私は信じています。PwCでも、若手が自分の意見を表明し、新しいアイデアを形にできる環境づくりを心掛けていますが、その文化を浸透させることは簡単ではありません。
高原:
私も、プロフェッショナルとは、容易ではないゴールの達成へ向けて、常に学び続け、失敗を失敗で終わらせず、物事をやり切る姿勢のことだと思います。会社員としても、セーラーとしても、質の高いトライアンドエラーをたくさん繰り返し常に成長し続けることが大切だと、いつも自分に言い聞かせています。
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