
医彩―Leader's insight 第8回 病院長と語る病院経営への思い―小田原市立病院 川口竹男病院長―
経営改善を実現し、「改善を持続できる組織」に移行している小田原市立病院を事業管理者・病院長の立場で築き、リードしている川口竹男氏に、病院経営への思いを伺いました。
医師や看護師などの医療従事者、最新の知見や技術を持つ研究者、医療政策に携わるプロフェッショナルなどを招き、その方のPassion、Transformation、Innovationに迫るシリーズ「医彩」。第15回は東北大学東北メディカル・メガバンク機構で機構長を務める山本雅之先生をお迎えします。人はなぜ、どのようにして病気になるのか――。この課題解明のため、ゲノム解析研究とその利活用の仕組みの構築にパッションを注ぐ山本先生。日本がゲノム解析情報を利活用して早期予防・治療を実現するには何が必要なのでしょうか。お話を伺いました。(本文敬称略)
東北大学東北メディカル・メガバンク機構 機構長
山本雅之先生
PwCコンサルティング合同会社
執行役員, パートナー
船渡 甲太郎(医師)
PwCコンサルティング合同会社
アソシエイト
矢口菜穂子
左から 船渡、山本氏、矢口
※所属法人名や肩書き、各自の在籍状況については掲載当時の情報です。
船渡:
最初に先生が現在機構長を務めていらっしゃる東北メディカル・メガバンク機構(以下、ToMMo)について教えてください。
山本:
ToMMoの設立は2012年2月で、その目的は前年に発生した東日本大震災からの地域医療の復興と、大規模情報化に対応した新たな医療・未来型医療の構築です。震災によって失われた東北地方の医療の復興には、長期にわたって地域全体を網羅した住民の健康被害に対応しながら、復興の「核」になるようなプロジェクトが必要と考えました。
現在、ToMMoでは幅広い年齢層を対象に長期健康調査を実施するコホート研究※1や、複合バイオバンク※2構築などの事業を実施しています。これらは多くの住民の協力がなくては成立しませんが、ToMMoはすでに12万人の宮城県民、協力組織であるIMM(いわて東北メディカル・メガバンク機構)には3万人の岩手県民の協力を頂いています。
矢口:
かねてから山本先生は「コホート調査のような縦断的な健康調査は、国民の健康を守るための重要な基盤である」と説かれています。現在、ToMMoでは「大規模前向きゲノムコホート調査」※3を実施されていますが、これはどのような調査なのでしょうか。
山本:
一言で言えば「人はなぜ、どのようにして病気になるのかを解明するための調査」です。病気の原因には遺伝的要因と環境要因があります。ヒトの遺伝子には多くの遺伝子多型が存在し、一人ひとりの遺伝子配列にはかなりの違いがあります。
大切なことは、遺伝子多型が個人の体質や病気のなりやすさを規定していることが理解されるようになってきたことです。その違いが個性や疾患感受性の基盤を構成しており、病気の原因にも大きく関わっています。体質(遺伝的要因)や生活習慣(環境要因)が、加齢という時間的変化を経ながらどのようにして健康上の問題を引き起こすのかを解明するためには、追跡を実施する縦断的な健康調査が不可欠なのです。
大規模前向きゲノムコホート調査では、健常な方々から多様なデータを収集し、数十年単位で継続的に追跡します。そうして得られた人体に由来する生体試料(DNA、血清、血漿、尿など)とそれらに関連する多様な情報(疾患情報、血液・尿検査情報、生理学検査情報、脳MRI検査情報、ゲノム配列情報、血中代謝物情報、診療・介護情報など)をバイオバンクに登録し、利用希望者に提供するのです。
矢口:
健常な方々から多様なデータを収集すれば、病気になる前や病気にならなかった人の情報も取得できます。患者のみを対象としたコホートでは病院に来る前の正確な情報は分かりませんね。
山本:
そのとおりです。つまり、未来型医療のエビデンスとなるリアルワールドのデータとゲノム情報などのビッグデータを収集し、それらを活用して、各人に最適な「個別化予防」と「個別化医療」を実現することが、大規模前向きゲノムコホート調査の目指すところです。
船渡:
一般の人たちにゲノム解析の重要性を理解してもらい、コホートへの参加に協力してもらうために、どのような働きかけをしていらっしゃいますか。
山本:
一般の人たちの全ゲノム解析情報は、個別化予防や個別化医療の実現に必須です。ですから「ゲノム解析情報を日々の診療に活用できるようになれば、各人に最適な予防医療が可能となります。また、個人の疾患リスクを測る方法の開発にも大きく貢献します」ということを、ていねいに説明しています。
ゲノム構造は民族ごとに大きく異なるので、日本人の個別化予防・医療を実現するためには、日本人のゲノム構造を正確に把握することが必要であることも分かりやすく説明しています。
矢口:
そもそも山本先生がゲノム解析情報を介して健康に貢献しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
山本:
「患者さんに(自分の遺伝子が持つ)リスクを知って頂いたうえで一緒に病気と戦いたい」というパッションです。私が医療の世界に飛び込んだ30数年前はがん患者さんには本当の病名を告知していなかったのです。胃がんは胃潰瘍、肝臓がんは肝硬変と伝えていました。しかし、現代医療に従事する方々はこうした方針を変更して、患者さんに対してがんであることを告知したうえで、一緒に戦うという治療方針に変更してきました。
ゲノム情報も同じです。もし、その遺伝子変異に治療法が存在する(アクショナブルと言います)のならば、ご自身にどのような遺伝子変異を持っておられるのか、どのような遺伝的リスクがあるのかを告知し、それを理解して頂いたうえで(リスクに対して)最適な予防・治療を提供したいという想いです。私はゲノム医療を健康維持に生かすことが、未来の医療の姿だと確信しています。
東北大学東北メディカル・メガバンク機構 機構長 山本雅之先生
PwCコンサルティング合同会社 執行役員, パートナー 船渡 甲太郎
船渡:
先に「一般住民の全ゲノム解析情報は、個別化予防・医療の実現に必須である」とのお話がありました。ゲノム解析をすれば、各人によって薬剤の有効性や副作用に個人差があることは分かります。ただし、患者さんを個別にセグメントして対応することは、実臨床では難しいのではないでしょうか。
山本:
ゲノムデータを個別化・層別化(セグメント化)に活用することは、遠い未来の話ではありません。例えば、米国NorthShore University HealthSystemでは、簡易ゲノム解析を通して、各人に最適な処方を選択していく取り組みを始めています。
日本の医薬品医療機器総合機構(PMDA)の認可は厳格で、高感受性の患者さんに対して有効な薬剤でも、それ以外の多くの患者さんを含む集団での治験で成績が上がらなければ、認可が下りないことが往々にしてあります。しかし、患者さんの層別化(セグメント化)が可能になれば、例えば、特定の遺伝的背景を持ち、ある薬剤に対して高感受性のセグメントに対して「あなたは遺伝的にみて感受性が高いから、この薬が効果的です」という治療介入も期待できます。つまり、ゲノム解析情報を活用して患者さんを層別化・個別化し、そのうえで最適な創薬を展開すれば、現在の認可基準が変わってくる可能性もあると思うのです。
健康調査や他のオミックス解析をゲノム解析情報を統合解析することで、さらに正確な層別化情報が提供できます。そのようにして、層別化創薬と組み合わせることができれば、従来からの低分子化合物も「標的薬」になります。そうすれば、PMDAの認可が下りなかった薬剤にも“候補復活”の可能性があると思うのです。
「万人に効果があり、万人に副作用がない薬」というのは神話です。その神話を追求しても現在の医療が抱えている課題は解決しません。医療費を考えてください。抗体や生物製剤は高額で、薬剤によっては何百万円もします。こうした薬を健康保険でカバーすれば、保険財政に大きな負担をかけますし、自己負担で治療できる人も限定的です。
しかし、患者さんをセグメント化できれば、比較的安価で、薬効に優れた薬剤を適切に提供できることもあると思います。そうすれば保険財政も改善できますし、効果的な創薬といった観点から製薬産業を支えることにもつながると思うのです。
船渡:
住民一人ひとりが自身のゲノム解析情報を把握していれば、例えばアナフィラキシーショックの発生リスクや薬剤の有効性や副作用を事前に把握できますよね。
山本:
ご指摘のとおりです。この分野は薬理ゲノム学(ファーマコジェノミクス;PGx)と呼ばれており、薬剤の副作用を引き起こす遺伝子変異の同定や、その周知の方法論などが大きな注目を浴びています。しかし、副作用が起きた人だけを集めてそのゲノム解析を実施しても、重篤な副作用を起こす遺伝子は見つかりません。多くの一般住民のゲノムを併せて解析して、比較対照することで、副作用の原因遺伝子の特定に迫ることが可能となります。薬剤の副作用は必ず起こるので、そのようなゲノム解析の結果から、個人に即した副作用のリスクが分かれば、医療の質向上にもつながるのです。
将来的には個々の患者さんや一般住民の方々が自身の薬剤副作用に関する情報を把握し、日常的な受診に活用できることが理想だと考えます。ですから、副作用のデータを収集するとともに、ToMMoのような研究事業を通して、リスクの遺伝的背景を明らかにして、社会に還元できる仕組みを構築することが必要です。
矢口:
先に「病気の原因には遺伝的要因と環境要因がある」とのお話がありました。遺伝的要因で特定の病気になりやすい人が生活環境や生活習慣に留意することで、どの程度病気になるリスクを下げられますか。
山本:
遺伝的要因で疾患リスクが高い人も、行動変容によって疾患発症を抑制できます。例えばコレステロール値が高い人を考えてください。遺伝子変異があることが原因なのか、または暴飲暴食でそうなっているのかで治療のアプローチが異なります。遺伝的要因がある人にはすみやかに薬物治療を実施する、一方、そうでない人には運動やバランスの取れた食事、あるいは禁酒など行動変容を促すことを最初にお勧めするのが良いのではないでしょうか。私は薬剤だけでなく、個人に特化した健康管理アドバイスや行動変容を促すことも立派な予防治療であり、有効だと思っています。
矢口:
現在ToMMoにて行っている、コホート参加者に遺伝情報をお返しする事業(遺伝情報回付事業)にはどのような専門職の医療従事者が関与しているのでしょうか。
山本:
臨床遺伝専門医やコーディネーターなどです。ただし彼らだけでは十分ではありません。今すぐにでも、バイオバンク研究科など、遺伝子情報に関連する専門職や遺伝カウンセラーを養成する教育体制を整備し、ゲノム医療に関わる人材を育成する必要があります。
今、日本ではデジタル人材不足が指摘され、教育改革を行っていますが、人材が育つまでには時間がかかります。誤解を恐れずに言えば、ゲノム医療・予防の分野でもこれと同じことが起こっています。日本はゲノム医療・予防の社会実装を国策と位置づけ、そこで働く人材を養成していく必要があるでしょう。私は、日本が今後ゲノム解析を基盤とした先進医療や個別化医療に進むと確信していますし、そうした方向に向かうべきだと考えています。
PwCコンサルティング合同会社 アソシエイト 矢口菜穂子
矢口:
将来的な展望について伺います。今後は全国の健診クリニックで全ゲノム解析を実施するようになるのでしょうか。その場合、どのようなハードルが想定されますか。
山本:
ゲノム解析自体に大きなハードルはありませんし、健診クリニックでの全ゲノム解析検査を支援することも難しくはありません。ハードルがあるのは、ゲノム解析を実施したあとです。ゲノム解析で遺伝的リスクを持っていることが判明した人に対し、その事実をどのように伝え、さらに、どのように継続的にケアしていくのかは大きな課題です。
例えば、がんに罹患するリスクを持つ人に対して「現時点でがんは発見されていませんが、がんになるリスクを抱えています。ですから今後は毎年精密検査を受けてください」と正しく伝え、不安を煽らないように適切にケアをしていくにはどのようなアプローチが最善なのかを考えなくてはなりません。
もう1つ、ハードルとして想定されるのは保険制度です。現在の保険制度ではゲノム解析のみでリスクが高いと判明した人が検査や治療を行う場合、1つの希少難病の例外を除いて、保険適用にならないのです。
船渡:
それは大きなハードルですね。
山本:
例えば、片側の乳房にがんが見つかって治療を受けた人は、もう片側の乳房や卵巣の検査・手術にはすべて保険が適用されます。一方、ゲノム解析だけでリスクが分かった人の検査や予防手術には保険が適用されず、全額自己負担になってしまいます。
医学の進歩によって、ゲノム解析のレベルや予測精度、認知度も向上しています。それにもかかわらず、それに基づく検査を保険適用外にする姿勢は、「病気が進行して治療が難しくなってから病院に行け」と言っていることと同じです。私は疾患を発症してからでないと保険適用にならないのは、現在の保険制度の欠点だと考えています。
船渡:
ゲノム解析でリスクが高いと分かっているにもかかわらず、その精査や治療に保険が適用されないことは、社会全体にとってもマイナスですよね。早期検査や早期治療を行うことで結果的に病気になるリスクを低減し、医療費も押さえられるという先生のお考えに同意します。
山本:
患者さんの視点から見れば病気を予防できますし、高価な治療を実施しなくて済むので治療費の負担面でもメリットがあります。先述したとおり、ゲノム解析情報を基に早期発見・早期治療すれば、保険医療費の負担も削減できます。つまり、患者さんと国側の双方にメリットがあるのです。残念ながら現時点では「未病段階から保険でケアする」という動きはありません。
船渡:
今後、ゲノム医療を社会に実装していくためには何が必要でしょうか。
山本:
一般住民コホート参加者のゲノム解析で得られた全ゲノムリファレンスパネルは、我が国の国の貴重な研究基盤です。これを活用して、国全体でゲノム医療を推進し、得られたデータを活かしてさらに研究を進めていきたいものです。ただし、研究事業だけでは社会実装は進みません。まずは自費診療からであってもゲノム医療を進めていく必要があるでしょう。一部の市町村から始めていくことも一案です。
矢口:
最後に、ゲノム解析を活用した未来型医療を実現するうえで、コンサルティング会社が果たす役割についてどのようなことを期待されますか。
山本:
大学や研究機関は自身の探究のためだけに何かを作るのではなく、社会に役立つ存在として人々の健康や生活を下支えする社会インフラやプラットフォームを構築する責任を負っています。同様に、シンクタンクやコンサルティング会社は社会から信頼され、期待される存在になる必要があると考えています。
大学の研究者が専門知識を駆使して社会に役立つプラットフォームを構築したとしても、それを幅広く周知し、効率よく社会実装するためにはシンクタンクやコンサルティングの力が不可欠です。研究から社会実装までの一連のプロセスは複雑であり、各方面との調整が必要です。これは大学関係者だけでできる作業ではありません。
特に、皆様には「感覚的」ではなく「科学的」な視点でゲノム医療を深く考え、その有用性と必要性を社会が納得できる形で提言する役割を担ってほしいと考えています。社会に内在している課題を的確に捉え、それを解決する方法を提案するというアプローチは、コンサルタントが得意とする領域のはずです。
船渡:
身の引き締まる思いです。私たちも未来型医療実現に向け、継続的な支援をしていく所存です。本日は貴重なお話をありがとうございました。
※1 コホート研究……疾病の要因と発症の関連を調べるための観察的研究の手法
※2 バイオバンク……血液や尿などの生体試料、生活習慣や病気の既往、居住環境などの健康情報、遺伝子解析情報などを、個人情報を除いたうえで体系的に収集・保管・分配するシステム
https://www.megabank.tohoku.ac.jp
※3 大規模前向きゲノムコホート設置の重要性https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/genome/genome_dai9/siryou1.pdf
経営改善を実現し、「改善を持続できる組織」に移行している小田原市立病院を事業管理者・病院長の立場で築き、リードしている川口竹男氏に、病院経営への思いを伺いました。
埼玉県では令和6年度より看護業務改善のためのICT導入アドバイザー派遣事業を実施しています。本事業でアドバイザーを務めたPwCコンサルティングのメンバーが、取り組みの概要とともに、埼玉県が考える看護職員の就業環境改善に向けた支援のあり方について伺います。
PwCコンサルティングが経営強化・業務改善支援を行っている北杜市立塩川病院・院長の三枝修氏および北杜市立甲陽病院・院長の中瀬一氏に、これまでのご御経験を踏まえて地域医療の魅力を存分に語っていただきました。
「世界の失明を半分に減らす」という目標を掲げ、先進国から途上国まで、グローバルな視野で医療課題解決に取り組むOUI Inc.代表取締役、清水映輔氏に、情熱の源泉とテクノロジーで切り拓く眼科医療の未来像について伺いました。
厚生労働省は、2024年に「医師偏在の是正に向けた総合的な対策パッケージ」を策定しました。医師の偏在対策は海外でも固有の医療制度や政治・経済情勢の下、自由と規制の間を行き来してきました。前編では米英2カ国における取り組みについて概観し、日本が進めようとしている施策への示唆を得ることを試みます。
厚生労働省は、2024年に「医師偏在の是正に向けた総合的な対策パッケージ」を策定しました。医師の偏在対策は海外でも固有の医療制度や政治・経済情勢の下、自由と規制の間を行き来してきました。後編では独仏露の3カ国における取り組みについて概観し、日本が進めようとしている施策への示唆を得ることを試みます。
製薬企業が現在抱えている課題とテクノロジーの進化を併せて考えると、今が変革を起こす最適なタイミングです。製薬企業が医療従事者の期待に応えるために今求められている対応について、ポイントを解説します。
近年、製造設備などの制御系システムを守るOT(運用技術:Operational Technology)セキュリティの重要性が高まっています。第一三共株式会社でOTセキュリティ強化の活動に従事する江口武志氏に、実際の導入から運用立ち上げをどのように進めたか、現場への浸透における難しさやチャレンジについて聞きました。