
「営業秘密」の保護と利活用 第1回:競争優位性の維持向上に不可欠な営業秘密保護対応
営業秘密は企業の競争優位性を支える重要な資産であり、経営層はこれをリスク管理の一環として重視し、戦略的に対応することが求められます。シリーズ第1回となる本稿では、営業秘密の定義とその重要性について解説します。
現代のビジネス環境において、情報は極めて重要な資産であり、企業の競争優位性を支える基盤となっています。「営業秘密」は、企業が持つ独自のノウハウや技術情報、顧客リストなど、事業運営に不可欠な情報を指しますが、その情報保護はしばしば軽視される傾向にあります。本インサイトシリーズでは、複数回にわたり、営業秘密の重要性と課題、そして効果的な対策、営業秘密の利活用などについて解説します。
営業秘密は、日本においては「不正競争防止法」に基づき保護される情報であり、以下の3要素を満たす必要があります。
これらの要素を満たすことで、営業秘密は法的保護の対象となります。一方で、特許などの知的財産権とは異なり、営業秘密は公的な登録や公開を必要としません(図表1)。そのため、企業が自ら適切な管理措置を講じることが求められます。
図表1:知的資産における営業秘密の位置付け
また、図表2で示すとおり、営業秘密には企業の競争優位性を支えるさまざまな情報が含まれます。
図表2:営業秘密の具体例
これらの情報が流出すれば、競合他社による模倣や追従、市場シェアの喪失といった重大なリスクが生じます。特にグローバル化とデジタル化が加速する現代において、企業間の競争は激化していることから、営業秘密の適切な保護は単なる情報漏えいリスクの回避という位置付けではなく、企業の成長戦略の一環として認識し対応することが重要です。そのため、技術的対策を含めた包括的な保護方法を検討することが望まれます(Section4を参照)。
近年、ランサムウェアなどのサイバー攻撃や個人情報漏えいに関するニュースが頻繁に報じられる中、企業の情報セキュリティ対策に関しては、ランサムウェアなどのサイバー攻撃への対応や、ビジネス継続性を担保するためのシステムの可用性や完全性の確保が重要視されています。また、コンプライアンスの観点から、GDPRをはじめとする国際的な規制や、個人情報・プライバシーへの対応および対策が進められています。
その一方で、営業秘密保護は法規制上、明確な罰則規定が不足していたり、被害の定量化が困難であったり、対策の範囲が広範で投資対効果の測定が困難であることから、相対的に優先度が低く設定されてしまう傾向にあります。サイバーセキュリティ対策は営業秘密保護にも一定の効果をもたらしますが、人的・組織的管理、物理セキュリティ、サプライチェーンマネジメントなどの視点が不足しており、営業秘密保護の視点において十分な保護レベルには到達していないというのが現状です。
また、営業秘密漏えいの経路に目を向けると、サイバー攻撃による漏えいは全体の8.0%にすぎず、現退職者による内部不正(誤操作等の過失を含む)によるものが約87.7%と大きな割合を占めています(図表3)。この傾向は独立行政法人情報処理推進機構(IPA)から毎年発表される「情報セキュリティ10大脅威」においても確認されており、「内部不正による情報漏えい等の被害」は年々その順位を上げています。
図表3:情報漏えいのルート
内部不正による情報漏えいとサイバー攻撃による情報漏えいとの大きな違いを見ると、ランサムウェアの攻撃者は主にターゲットとなる企業に対し、身代金を請求することを目的に、生産活動やサービスを停止させる手段として営業秘密情報の暗号化や流出を実行します。一方、内部不正は情報の価値を理解する者同士(元従業員から競合他社など)での受け渡しという特徴があるため、少量の情報漏えいでも企業へ与える影響が大きくなる可能性が高いと言えます。
情報漏えいの内部不正は、他の内部不正(不正会計・横領)と比較して、職責に特権がなくとも実行が容易であり、直接的に金銭に結び付きにくいため心理的抵抗が少ないという点があります。加えて、従業員や外部委託先など、実行可能な対象者の裾野が広く、犯罪になり得るという意識・リテラシーの欠如により行動への躊躇が少ないという特徴があります。さらに近年では、働き方の多様化が進み、離職率の上昇、副業・兼業の一般化、派遣・業務委託などの非正規雇用の増加、リモートワークの普及により、企業の機密情報に接する人材の流動性が高まっており、内部不正のリスクは一層深刻化しています。
営業秘密はいったん漏えいしてしまうと、取り戻すことはできず、営業秘密の構成要素である“非公知性”が失われてしまい、競合他社に競争優位性の追随を許してしまうなど、直接的な経済的損失および間接的な影響を企業にもたらします(図表4)。
図表4:営業秘密漏えいに伴う影響
営業秘密を競合会社に漏えいさせた訴訟において、損害賠償請求額が億単位となる場合や、民事・刑事で訴訟となる事例もあります。さらに漏えいが事件として報道されてしまうと、株価が大きく低下するなどの影響も考えられます。
このように、企業にとって営業秘密の漏えいは、長年かけて築き上げた競争力の源泉や企業価値を一瞬にして喪失しかねない深刻な経営課題となりうるものです。それにもかかわらず、多くの企業では営業秘密保護については経営課題として認識されておらず、明確な戦略や予算配分が不足しているケースが頻繁に見受けられます。これを改善するためには、経営層レベルで営業秘密保護をリスク管理の一環として位置付けることが重要なのです。
営業秘密保護を実効性のあるものとするために、図表5に示した対策などが効果的です。このインサイトのシリーズを通して紹介していきたいと考えています。
図表5:営業秘密保護の対策の方向性
組織的対策 |
人的対策 |
物理的対策 |
技術的対策 |
サプライチェーン対策 |
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営業秘密は企業の競争優位性を支える重要な資産であり、その保護は不可欠です。サイバーセキュリティや個人情報保護に注力する一方で、営業秘密保護が軽視されることが多く、特に内部不正による情報漏えいが深刻なリスクとなっています。
営業秘密の漏えいは、企業の競争力を大きく損なう可能性があるため、経営層はこれをリスク管理の一環として重視し、戦略的に対応することが求められます。企業全体で一貫した保護対策を講じることで、競争優位性を維持し、持続可能な成長を実現することができます。
PwCでは、企業が直面する多様なリスクに対応するためのコンサルティングサービスを提供しています。営業秘密保護についてお悩みの際は、ぜひお気軽にご相談ください。
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