日本企業は新世界秩序と大国間の対立をどう乗り越えられるか

  • 2025-06-25

米国に新政権が誕生し、米国・欧州・中国の関係は大きな転換点を迎えています。関税の引き上げや経済のブロック化といった動きに加え、デジタル分野における法規制にも重大な変化が見込まれます。こうした国際環境の変化の中で、日本企業は何に備えるべきなのでしょうか。本稿では、コロンビア大学ロースクール教授でPwC Japanグループ顧問のアニュ・ブラッドフォードが、国際貿易とデジタル規制の最新動向を分析し、日本企業がとるべき具体的な対応策を解説します。

※2025年1月31日に行った講演に基づき記事を構成しています。

講演者

PwC Japanグループ 顧問
コロンビア大学ロースクール 教授
アニュ・ブラッドフォード

地政学の三大トレンドと日本企業への影響

最初に現代の地政学における3つの主要トレンドを説明します。これらのトレンドは、世界経済を牽引する米国、中国、そしてEUを中心に展開しており、政府とグローバル企業のあらゆる意思決定に大きな影響を与えています。このような国際環境の中で、日本企業がどのように対応し、戦略立案すべきか考察することは非常に重要です。

第1のトレンドは、「地政学的対立の激化」です。

地政学リスク分析を専門とするユーラシア・グループは、毎年「世界の重大リスクトップ10」を発表しています。今年の第1位は「Gゼロの世界の深刻化」でした。「Gゼロ」とは国際社会におけるリーダー不在の時代を意味します。

かつてはG7やG20といった国際的な協力枠組みが世界秩序を主導していましたが、その時代は終わり、「Gゼロ」の時代が到来しています。国際秩序の維持、法の支配の促進、地政学的安定の保証という国際社会のリーダーとして米国が果たしてきた伝統的な役割は放棄されつつあります。このような姿勢は、結果として国家間の地政学的対立のリスクをさらに高めています。

第2のトレンドは、各国による「経済安全保障の重視への急速な移行」です。現在のように地政学的な緊張が高まる状況では、国家も企業も、これまで当然のように機能していた国際的なサプライチェーンのレジリエンス(回復力)や、安定した貿易の継続を当たり前とは考えられなくなっています。こうした認識の変化を背景に、多くの国が保護主義的な政策を強化し、自国の経済を優先する「経済ナショナリズム」へと傾いているのです。私たちは今、国家間の貿易戦争が激化する時代の入り口に立っているのです。

そして、今後数年間の国際秩序に大きな影響を与えると考えられる3つ目のトレンドが、「人工知能(AI)をめぐる覇権争い」です。このテーマの重要性を示す、いくつかの専門機関による注目すべき予測を紹介します。

PwCは2017年の報告書で「AIは2030年までに世界経済全体に15.7兆米ドルもの経済効果をもたらす」という驚異的な予測を発表しました。この金額は、現在の中国とインドの国内総生産(GDP)を合わせた総額よりも大きく、AI技術が将来の世界経済にもたらす影響がいかに巨大かを明確に示しています。

さらに注目すべきは、米国ブルッキングス研究所が2018年に示した長期的な見解です。同研究所は「2030年の時点でAI開発において世界のトップに立つ国は、その後も2100年まで技術的覇権を握り続けるであろう」と分析しています。この予測は、現在のAI開発競争が単なる一時的な技術革新の領域を超え、今後一世紀にわたる国家間の勢力図を決定づける重大な要素となることを示唆しています。

こうした分析からもわかるように、AIをめぐる国際競争は、もはや企業レベルの技術争いにとどまらず、安全保障や地政学に直結する国家の重要課題となっています。AIは経済成長を後押しするだけでなく、軍事力を含む国家の影響力を高める技術でもあります。だからこそ、各国は巨額の国家予算を投じてAI開発を加速させているのです。

米国――保護主義と規制緩和のはざまで

ここまで国際的な地政学の動きを見てきましたが、ここからは米国国内の具体的な政策に目を向けていきましょう。

まず注目すべきは、米国が保護主義的な貿易政策を外交の主要手段として活用している点です。関税は即効性のある交渉カードとして使われ、たとえ友好国に対しても、米国が望む国際ルールや条件を受け入れさせるための圧力として機能しています。

一方で、国内では「規制緩和」に向けた動きが目立ちます。これは経済全体に共通する傾向ですが、特にデジタル経済やテクノロジー分野で顕著です。シリコンバレーの大手テック企業と、政府やシンクタンクとの連携が急速に進んでいます。

これらの企業は、トランプ大統領の再選をめぐる過程においても重要な役割を果たしました。大統領就任式の基金に多額の寄付を行うなどしており、その見返りとして、すでに政策面での優遇を受け始めています。その一例が、バイデン政権時代に発出された包括的なAI規制に関する大統領令の撤回です。

この大統領令は、トランプ大統領の就任直後に速やかに取り下げられました。さらに、テック企業側は、反トラスト(独占禁止)政策の大幅な見直しも強く期待しています。バイデン政権下では独占的行為への取り締まりが強化されていましたが、彼らはその流れが変わることを望んでいます。要するに、自由に企業買収や統合を進め、独占禁止法による訴追のリスクなく事業拡大を進められる環境に戻ることを期待しているのです。

こうした動きは、米国における規制の方向性が大きく転換しつつあることを示しています。バイデン政権下で進んでいた、欧州型の「権利保護と公正競争を重視する規制モデル」への接近から、「テクノリバタリアン(技術革新至上主義)的モデル」への回帰が、はっきりと表れ始めているのです。

同時に、米国では特にデジタル経済や先端技術の分野において、経済政策と国家安全保障が密接に結びついている点も見逃せません。実際には、輸出規制や対外投資の審査強化といった措置が取られており、そのアプローチは、皮肉にも中国の国家主導型経済モデルに近いものになっています。こうした動きは、半導体や量子コンピューティングといった戦略分野で特に顕著であり、今後さらに強化されていく可能性が高いでしょう。

デジタル経済をどう統制すべきかについて、米国の政権内で明確な方向性が定まっているとは言えません。加えて、カリフォルニア州のような州政府レベルでは、連邦政府とは別に、データプライバシーの厳格な保護やAI規制の法制化が今後も進むと見られています。

EU――技術主権と厳格なデジタル規制のジレンマ

さて、ここからは視点をEUに移し、その独自の政策動向と直面する構造的な課題を見ていきましょう。

新体制へと移行した欧州委員会は、デジタル経済政策に関連する二つの野心的かつ戦略的な目標を掲げています。第1の目標は、前体制が精力的に策定したデジタル関連の法律や規制の着実な実施です。GDPR(一般データ保護規則)に加え、デジタルサービス法、デジタル市場法、AI法、データ法、データガバナンス法、サイバーレジリエンス法などが次々に導入されています。これらの法制度はデジタル空間における市民の権利を守り、公正な市場環境を整える「欧州モデル」の中核をなしています。

第2の目標は、グローバル競争の激化に対応してEUの産業競争力を高め、技術主権を確立することです。

2023年に発表された「ドラギレポート(※1)」は、EUの国際競争力の相対的な低下に強い危機感を示しました。報告書では、イノベーションの加速、戦略分野への投資拡大、欧州単一市場の統合などが提言されています。

こうした中で、EUが直面するジレンマも明確になってきました。それは市民の権利保護や公正な市場の実現を目指す厳格な規制と、イノベーションを後押しし、国際競争力を高めたいという産業政策とのバランスをどう取るか、という問題です。規制が過度になれば、企業の成長や柔軟な事業展開を妨げるリスクも出てきます。今後、EU内部でこうした政策の緊張関係がどう調整されていくのかは、引き続き注目すべきポイントでしょう。

米国とEUの政策を見ていくと、両者の間には戦略的な緊張があり、今後さらに高まる可能性があります。米国は同盟関係にあるEUに対しても、自国の利益を優先して関税を課すような動きは、十分に起こり得ます。

また、米国の巨大テクノロジー企業は、EUの厳格なデジタル規制を「経済制裁」に近いものと受け止め、自国政府に外交的な対応を求めるロビー活動を活発化させています。こうした圧力は、EUの規制を形骸化させる懸念も生んでいます。

このような状況のなかで、EUがどう対処していくかが問われています。もしデジタル規制が単なる政策ではなく、米国との政治的な対立の場に変わっていけば、法律の実効性を保つのはさらに難しくなります。多くの争点が欧州司法裁判所などに持ち込まれるようになれば、EUの法制度そのものが試されることになるでしょう。加えて、期待された効果が出なければ、今度は市民団体がEUを相手に法的措置をとる可能性も出てきます。

加えて、米国が今後「分断と統治」のような戦略を強化するシナリオも想定されます。たとえば、EU加盟国を経済的・政治的な関係で選別し、一部の国にだけAI向けの最先端チップなど戦略技術の輸出を制限する――そうした選別的な政策が実施される恐れもあります。こうした措置は、EUの政治的一体性を内部から揺さぶり、欧米関係の根本的な性質を変えるリスクを伴っています。現在の米欧関係は、かつてのような「価値観の共有」に基づいた関係から、それぞれが自国の利益を優先する現実的な関係へと静かにシフトしつつあるのです。

※1 元欧州中央銀行総裁のマリオ・ドラギ氏が2023年に執筆したEUの競争力強化に関する提言報告書

中国――デジタル覇権への挑戦と米欧との摩擦の行方

次に、グローバル技術競争のもう一方の主要プレイヤーである中国の動きを見ていきましょう。現在の中国は、AIを中心とした先端技術分野で世界のトップに立つことを明確な国家目標に掲げています。

興味深いのは、米国による対中技術輸出規制が、皮肉にも中国の技術的な自立を加速させている点です。この状況は、かつて米国を奮起させた「スプートニク・モーメント」とも重なります。実際、2025年初頭には、中国企業が生成AIの分野で目覚ましい成果を上げ、世界の技術コミュニティに衝撃を与えました。

一方で、中国政府は急成長するテクノロジー企業をどのように管理・統制していくかという難題にも直面しています。民間企業への規制を強めつつも、経済成長と技術革新の原動力としての役割は維持したいというジレンマの中で、慎重にバランスを探っている状況です。今後の中国のデジタル政策は、国家安全保障を最優先に据えながら、データの越境移転や外国資本の投資に対して、さらに厳格な制限や管理が進められていくとみられます。

中国の政策は米中対立を悪化させるだけでなく、EU・中国関係にも緊張をもたらします。米中の貿易・技術摩擦は避けられず、EUもその影響を受けます。特に米国が他国にも対中政策への協力を強く求めることが予想されます。

EUも中国への警戒を強めています。技術競争が激化すれば中国からの輸入がさらに増え、EUはより厳しい対応を迫られるでしょう。実際、中国製電気自動車の欧州市場でのシェア拡大は欧州自動車産業に大きな脅威です。また、中国のEU域内での技術投資も今後の重要課題となります。

日本企業の生き残り戦略――リスク対応と成長機会の両立

最後に日本企業が直面する課題と可能性についてお話しします。

現在、日本企業は地政学的に不安定な状況に直面しています。紛争リスクが高まる中、地政学を考慮した意思決定がこれまで以上に重要になっています。例えば、対日貿易赤字が続く米国では、トランプ大統領による関税措置の可能性が再び高まっています。また、米中貿易戦争が激化すれば、中国製品が日本市場に流入し、日本企業はより厳しい競争にさらされるでしょう。

米国の政策は予測が困難で、不確実性の高い状況が続いています。貿易政策やデジタル規制について各国の足並みが揃わない中、企業には柔軟で迅速な対応が求められています。これはAI規制だけでなく、国際ルールの不一致という広範な問題にも関わっており、グローバル展開はより複雑になっています。

投資環境も厳しさを増しており、政治リスク対策は不可欠です。特にEUで事業を展開する日本企業は、AI規制法など複雑なデジタル法規制への対応が大きな課題です。GDPRなどのプライバシー保護法とも重なり、総合的な対応体制が必要です。

また、日本企業にはAI人材不足という構造的課題もあります。国際学会NeurIPSのデータによると、トップクラスの研究者の57%が米国で働いていますが、その多くは米国外で学んだ人材です。米国の大学出身者は28%、中国の大学出身者は26%を占めています。つまり米国は世界中から優秀な人材を集めているのです。残念ながら、日本は有力なAI研究者の出身国として名前が挙がっておらず、アジアでも、中国、オーストラリア、韓国、インドに次ぐ「その他」に分類されています。

しかし、こうした状況は課題であると同時にチャンスでもあります。米中貿易戦争は日本企業にとって米国市場での輸出拡大の好機となり得ます。この局面では他国との連携が重要で、韓国、オーストラリア、EUなどは日本との協力を望んでいます。また、米国との交渉ではあらゆるテーマが対象となり得るため、日本企業が戦略的に交渉すれば、有利な条件を引き出せる可能性があります。

もう1つ注目すべき動きが、米国の移民政策の厳格化です。この流れによって、優秀な外国のAI人材が米国を離れ、欧州や中国に流れる可能性が高まっています。日本企業は政府と連携し、こうした人材を日本に呼び込むための取り組みを強化すべきです。これは、競争力を高める上で大きな機会となるでしょう。

以上が、日本企業に対する私からの提言です。目の前の課題は決して小さくありませんが、その本質を正しく理解すれば、より的確な戦略を描くことができるはずです。それが将来への明確な指針となることを期待しています。


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