サイバー保険加入の課題と活用に向けた重要論点

  • 2026-02-20

背景:日本ではサイバー保険の活用が進んでいない

2025年、日本国内で確認されたランサムウェア被害件数は過去最高の水準で推移し、調査・復旧に1,000万円以上を要した組織の割合は、前年の50%から56%へと上昇しました1。事業停止に伴う財務負担も拡大しており、生産・物流が停止したことで出荷遅延や取引補償に数十億規模の費用が発生したり、個人情報漏えい等の対応費用が数十億〜百億円超に達したりといった事例も発生しています。このように、サイバーインシデントが企業にもたらす実際の金銭負担は拡大しています。その結果、サイバー保険はそれを補填(ほてん)する有力なリスクファイナンス手段として注目を集めています。

その一方で、日本企業のサイバー保険加入率は依然として低水準にとどまっています。2020年時点の企業加入率を比較すると、米国では約47%に達している一方2、日本では約7.8%にとどまっており3、以降も顕著な増加は確認されていません。

損害額が年々増大するかたわらで、財務的備えとしての保険活用が追い付いていないのが現状です。こうした「損害の実態」と「備えの不足」の隔たりは、サイバー保険加入をリスクファイナンスの観点から再検討すべき状況にあることを示唆しています。

なぜ日本企業は保険加入を躊躇(ちゅうちょ)するのか?

見えにくい費用対効果

サイバー保険の費用対効果評価には、「確定的な保険料負担」と「将来損失の不確実性」という構造的な課題があります。大企業では年間保険料が億円規模となるケースもある一方、インシデント発生確率や被害規模を事前に正確に見積もることは困難です。

対照的に、情報セキュリティ対策は、例えば、エンドポイントセキュリティを担う仕組みの1つであるEDR(Endpoint Detection and Response)による検知率の向上や多要素認証の導入効果など、具体的なKPIで有効性を測定できます。また、対策成熟度の低い企業では保険料が割高となるため、まず優先すべき事項として、多くの企業がセキュリティ投資から取り組む傾向があります。

最適な補償設計における実務上の課題

サイバー保険の補償範囲は、第三者への損害賠償、インシデント対応費用、喪失利益・営業継続費用など多岐にわたり、それぞれの補償限度額を設定する必要があります。一見すると、同業他社の一般的な加入範囲を参考に、「企業規模×同業平均値」でそれぞれの補償限度額を算定できそうですが、この平均値には自社固有の要素—システム構成、対策能力、業務依存関係、データ特性、コンプライアンス要件など—が反映されません。

そもそも、自社に最適な補償設計には、前提となるインシデントシナリオの設定、社内外に散在する情報の収集と整理、複数部門を巻き込んだ意思決定が不可欠です。しかし実務においては、インシデントシナリオ設定の根拠不足、比較可能なベンチマークの情報欠如、部門横断的な意思決定・情報統合の難しさなどが障壁となり、最適な判断に至れないケースが多いのが現状です(図表1)。

その結果、補償設計の妥当性を説明できず、自社にミスマッチすることを懸念し、加入効果に疑問を抱く企業も少なくありません。

図表1:補償設計における実務課題の例

過小評価される損害見積もり

一部の企業は「予備資金またはリスク許容限度額内でインシデント対応可能」と判断し、サイバー保険を敬遠しています。背景には、他社事例における実損データが不足する中、過去の小規模インシデントを基準に損害を過小評価しがちな点があります。

しかし、重大インシデントでは、システム間・業務間の依存関係などを要因として、損害が線形的ではなく指数的に拡大することがあります。法的対応、顧客通知、賠償、業務停止損失—費目は多岐にわたり、想定外のコストが積み上がるケースも珍しくありません(図表2)。大規模なインシデントの経験がない企業ほど、損害を正確に見積もることは困難です。

図表2:大規模インシデント発生時の損害金額イメージ

サイバー保険を効果的に活用するには?

サイバー保険は、単に加入するだけでは十分な効果を発揮しません。自社のリスク構造や事業運営に合わせて設計・運用することではじめて実効性のあるリスクファイナンス手段となります。以下に、その活用に当たって特に有効な3つのアプローチを整理します。

アプローチ1:セキュリティ対策と組み合わせ、残存リスクを最適にコントロールする

セキュリティ対策が未整備な段階では、初期投資によって大部分のリスクを効率的に削減できます。一方、一定の成熟度に達すると、追加投資の効果は逓減し、削減できるリスクは限定的となります(図表3)。この構造を踏まえると、セキュリティ対策を追加しても対応しきれない残存リスクをサイバー保険で補完することが、費用対効果の高いリスクマネジメントとなります。

図表3:セキュリティ対策投資とインシデント発生確率の相関図(イメージ)​

アプローチ2:自社の中核事業の安定運営を支援

サイバーインシデントによる損害の大きさは、事業の特徴によって大きく異なります。個人情報を大量に扱う企業では通知・賠償コストが、主要システムへの依存度が高い企業では業務停止による売上損失が、規制産業では行政対応や罰則が主な負担となります(図表4)。

こうした自社固有のリスク構造を踏まえ、中核事業の特徴に応じて主要な損失類型を優先して補償設計に反映することで、サイバー保険は財務面から中核事業の安定的な運営と成長を支える有効なリスクファイナンス手段として機能します。

図表4:事業特徴に応じた主要な損失類型

アプローチ3:取引における信頼性・継続性を確保する手段として位置付ける

近年、企業間取引におけるサイバー保険の重要性が高まっています。特に海外企業や金融機関との取引では、セキュリティ対策の一部として保険加入を求めるケースが増加しており、契約書に最低保険金額(例:1,000万米ドル)を明記するケースも見られます。

サイバー保険は、単なるリスク移転にとどまらず、取引先に対する信頼性や事業継続性を示す要素として機能します。結果として、企業間取引における競争力強化にも寄与します。

加入時に検討すべき論点

自社リスクの定量評価

適切な補償範囲を設定するためには、自社固有のリスクと損害規模を定量的に把握する必要があります。下記のステップを踏んで、IT、リスク管理、財務、法務など複数部門が連携し、必要な情報を整理しながら進めることで、「どの範囲を保険で補うべきか」を判断する根拠が得られます(図表5)。

図表5:自社リスクを定量評価するためのアプローチ

ステップ

要点

1. 重要資産の把握

データ、基幹システム、委託先を整理し、どの事業にどの程度影響が及ぶかを可視化する

2. 想定インシデントの設定

特定した重要資産を前提に、ランサムウェア攻撃、情報漏えい等、自社で起こり得るインシデントシナリオを設定し、影響範囲を明確にする

3. インシデント発生確率の評価

設定した各シナリオについて、業界インシデント動向や自社の対策状況を踏まえ、インシデント発生確率を評価する

4. 損害項目の整理

インシデント発生の場合を想定し、賠償、調査・復旧、業務停止など、発生し得る費用項目を網羅し、損害の構成を把握する

5. 損害額の試算

損害項目ごとの、個人情報漏えい通知件数、復旧に必要な作業量、業務停止期間などを基に損害額を算出し、補償限度額の検討材料とする

6. 自社吸収範囲と保険の役割整理

試算結果を踏まえ、自社で吸収可能な損害と、財務的な補填が必要な領域を明確に分け、保険加入の要否、補償範囲、限度額を最終的に決定する


緊急対応サービスの活用検討

サイバー保険には、インシデント発生時に調査・復旧・法務対応などを支援する「緊急対応サービス」が付帯する場合が多くあります。これらを有効に活用するには、自社の対応体制と、保険を通じて利用できる外部専門家の役割の分担を平時に整理しておくことが重要です。

サービス導入の前に確認すべき主なポイントは以下の通りです。

  • 初動対応時の外部連携フローにおいて、保険会社への連絡要否判断基準と時期を整理
  • 自社担当者とサイバー保険に付帯する外部専門家との役割分担を明確化
  • 立て替え不要等のメリットと、サービス自由度の制約を踏まえた、保険付帯の外部専門家と既存契約のインシデント対応サービスの使い分けを整理 など

加入時にこれらを整理しておくことで、有事の対応や連絡体制が混乱せず、被害の拡大を防ぐことにつながります。


海外子会社を含む契約形態の選択

グローバル展開する企業がサイバー保険を契約する際は、グローバルでの一括契約と地域別分割契約のいずれを採用するかが重要な論点となります(図表6)。自社の展開地域の規模、各国のリスク特性、管理体制に応じて、コスト効率と現地最適化のバランスを踏まえた選択が必要です。

図表6:主要な契約形態の比較​

主要な契約形態

メリット

デメリット

グローバル一括契約

  • 保険料が割安
  • 本社による補償内容の一元管理が可能
  • 国境を越えたインシデントへの包括的対応
  • 各国の法制度・訴訟リスクへの対応に限界
  • 米国など高額賠償地域では補償上限が不足する可能性
  • グループ内の一社でのインシデントにより、補償上限消化や保険料が上昇する可能性

地域別分割契約

  • 各国の法制度・リスク特性に最適化した設計
  • 現地言語でのサポートと専門家ネットワークの活用
  • 保険料が割高になる傾向
  • 国別管理の負担増加
  • 補償の重複や空白が生じる可能性

まとめ

サイバー保険は企業にとって有力なリスクファイナンス手段です。しかし、自社のリスク構造を正しく捉え、費用対効果の高い補償内容を見極めるには、多様な論点と高度な判断が必要です。本稿で示した活用アプローチや検討すべき論点などが、サイバー保険の効果的な活用を検討する一助となり、企業のリスクマネジメントに寄与できれば幸いです。

こうした論点に直面したとき、社内のリソースだけで最適解にたどり着くのが難しい場合もあります。その際、PwCのような第三者専門家の知見を取り入れることも、効果的な活用を進めるうえで有効な選択肢となり得ます。PwCは最新の脅威動向や業界特性を踏まえ、貴社のサイバーリスクを定量・定性の両面から評価し、サイバー保険加入にあたっての論点設計や費用対効果の検証を支援します。

1 警察庁, 2025. 「令和7年上半期におけるサイバー空間をめぐる脅威の情勢等について」(2026年1月30日)
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/cybersecurity/data/R7kami/R07_kami_cyber_jyosei.pdf

2 U.S. Government Accountability Office, 2021. “Cyber Insurance: Insurers and Policyholders Face Challenges in an Evolving Market (GAO‑21‑477)” (2026年1月30日)
https://www.gao.gov/assets/gao-21-477.pdf

3 日本損害保険協会, 2020. 『国内企業のサイバーリスク意識・対策実態調査』(2026年1月30日)
https://www.sonpo.or.jp/sme_insurance/assets/pdf/survey/cyber_report2020.pdf

執筆者

小橋 孝紀

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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小林 啓将

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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蔦森 杏奈

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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林 翔鷺

シニアアソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

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