
不透明な時代と向き合う変革、生き残りの鍵に
関税政策を巡る混乱で世界経済の先行きは不確実性を増し、深刻化する気候変動の影響やAIをはじめとするテクノロジーの進化も待ったなしの対応を企業に迫っています。昨日までの常識が通用しない不透明な時代をどう乗り越えるべきか。これからの10年を見据えた針路の定め方について、PwCのグローバル・チーフ・コマーシャル・オフィサー(CCO)であるキャロル・スタビングスと、PwC Japanグループで副代表およびCCOを務める吉田あかねが意見を交わしました。
株式会社 岡野 代表取締役社長
岡野 博一 氏
PwCコンサルティング合同会社 パートナー
神馬 秀貴
未来を創るDX
~デジタルが加速させる社会のトランスフォーメーション
真のデジタルトランスフォーメーション(DX)は、個々の企業の効率化や価値創出を可能にするだけでなく、社会を大きく変える力を持っています。
本シリーズでは、DXを通じて社会におけるさまざまな課題に取り組み、新たな未来の創造を目指している企業・組織のキーパーソンに、変革実現までのチャレンジや課題克服のアプローチを伺いながら、単なるデジタル活用にとどまらない社会にとってのDXの意義を探ります。
日本最古の絹織物の系譜を受け継ぐ伝統的工芸品「博多織」。その価値を再定義し、世界的なブランドへの成長を目指す株式会社岡野の5代目社主・岡野博一氏と、PwCコンサルティング パートナーとしてさまざまなDX/全社改革プロジェクトに携わり、PwC JapanグループのCDO(チーフ・デジタル・オフィサー)も務める神馬秀貴が、デジタルの活用による伝統工芸の価値と事業モデルのトランスフォーメーションについて語り合いました。
神馬:
先行きの見通しが困難で突発的なルールチェンジが発生する現代において、変化への対応力を高めるにはデジタルトランスフォーメーション(DX)が不可欠です。しかし日本では、デジタル化は進んだものの、トランスフォーメーションまで成し遂げた組織は、決して多いとはいえません。私は、DXの本質はデジタル化よりもトランスフォーメーションにあると考えています。その本質をあぶり出すために「未来を創るDX」というシリーズ企画を立ち上げました。この企画は、各業界のトップランナーとの対話を通じて“真のDX”に迫ることを目指しており、その第1弾の対談相手として、伝統工芸の世界でDXに挑まれている岡野さんをお招きした次第です。
前置きが長くなりましたが、こうした趣旨を踏まえたうえで、あらためて岡野さんが取り組まれてきた博多織の変革の歩みをお話しいただけますか。
岡野氏:
私が、本家の家業だった博多織事業を引き継いだのは、1999年のことです。母親から、実家の本家のほうが廃業を検討しているという話を聞いたんです。うちは分家で、父親は職人でした。父親を含め職人さんたちは仕事を続けたかったのですが、資本側である本家は「もうからないから廃業だ」と。話し合いは平行線だったのですが、私は職人の皆さんの気持ちも分かりますし、大学を卒業して人材関係の会社を創業していたこともあって経営側の気持ちも分かるので、その間に私が入ってしまったんですね。当時、博多織の市場規模は右肩下がりで縮小しており、継承し、再興できるかどうかを確かめるため、まず徹底的に市場調査を実施しました。すると、国内の伝統工芸はおしなべて衰退しつつあったものの、海外の伝統工芸メーカーのなかには時代に合わせて変化を遂げ、世界的なラグジュアリーブランドへと成長している企業も少なくないことが分かりました。例えば、欧州では馬車が廃れるとともに、馬具製作の技術をバッグづくりに発展させ、世界的ブランドを築き上げたメーカーがあります。私たちの博多織にも、皇室献上品を制作する技術と品質があります。欧米ブランドが実践した方法論を応用すれば、世界的なブランドに成長できる可能性があると考え、家業の継承を決断しました。
神馬:
古いしきたりが色濃く残る伝統工芸の世界では、さまざまなディスラプトが必要だったと推察しますが、どのような変革を重ねてこられたのでしょうか。
岡野氏:
まず、メーカーとして自立しなければならないと考えて「脱下請け」を宣言しました。そのためには自社製品のブランド化が必要になりますが、「博多織」は産地ブランドなので、当社だけが独占するわけにはいきません。そこで「OKANO」という自社ブランドを立ち上げました。流通に関しては、問屋を通さず小売りと直接取引する改革を断行しました。業界では禁じ手とされていた商売方法です。ところが、小売店とつながりはしたものの、彼らも時代の波に押されて疲弊している状況が見えてきたので、最終消費者に直接販売するための直営店を出店しました。こうして、伝統工芸界で唯一のSPA(製造小売業)企業になったというのが、今日までの変革の流れです。
神馬:
今、世の中では急速なデジタルシフトや、生活者の行動変容が絶え間なく起きています。こうした事業環境下、岡野さんも変革の過程でデジタルを活用されてきたと思いますが、DX推進のボトルネックと感じていることは何ですか。
岡野氏:
最大のボトルネックは、社員のマインドセットですね。業務を変えるためにデジタル化を推進しましたが、積極的にチャレンジする社員と、変化を受け入れることに消極的な社員とに分かれてしまい、後者のマインドセットを変えるのが大変でした。「デジタルリテラシーを高めるのは、お客さまのため」と会社の考え方を示したのですが、それでもなかなか変わりませんでした。
神馬:
今、お話しされた社員のマインドは、PwCでも難しさを感じているところであり、DXの根幹だと思っています。多くの企業がツールを活用した人材教育を取り入れていますが、あまり成果を上げられていません。なぜなら、大半の教育ツールは最初にスキルや知識から入ってしまうため、岡野さんがおっしゃったように、積極的にやる人とやらない人、効果が得られる人と得られない人が生じてしまい、本当の意味の意識改革や変革にはつながらないからです。そこでPwCでは、人が進化するために必要な4つの要素を柱に据えて、教育プログラムを開発しました。第1の柱は技術と知識のアップスキリング。第2の柱がご指摘のマインドセット。第3の柱は行動パターンの変革です。そして第4の柱が社内外の人脈を含むネットワーキング。これら4本の柱をベースに、それぞれが「どう変わらなければいけないのか」「どういう姿が理想なのか」を規定し、ゲーム的なやり方などを使いながら学んでいくのが、私たちの人材教育の基本思想です。
岡野氏:
その基本思想をベースとして、具体的にどのように進められたのでしょうか。当社も創業124年の古い会社なので、いろいろなタイプの社員がいて、難しいところだと感じています。
神馬:
やる気のある人とない人が出てくるという問題に対しては、一部のデジタルツールに関しては全員必修のプログラムを受けてもらうようにしています。いかに義務的に感じさせないかがポイントだと思っているのですが、やってみると、今まで消極的だった人が独創的な活用法を開発したり、予想外の成果を出したりすることがあります。おそらく社員にも、「新しいやり方を取り入れなければ後れを取ってしまう」という危機感があるのだと思います。機会さえあればやる気を出す人がたくさんいたというのが、最大の発見でした。今、社会全体に新しいものを取り入れるマインドが醸成されつつあると思うので、適切なきっかけを提供すれば、スキルだけではなく個々のマインドセット、ネットワーキング、行動を変えていくことも可能ではないかと考え、私たちもあの手この手で人材育成をしている、というのが実情です。
神馬:
日本では古くから数多くの伝統工芸品が作られてきましたが、そのなかには廃れて姿を消してしまったものも多くあります。そんななかで岡野さんが手掛ける博多織は、現在も人々に愛され、伝統を受け継いでいます。時代を超えて生き残る伝統工芸と消えていく伝統工芸の違いはどこにあると思いますか。
岡野氏:
消えてしまった伝統工芸は、マーケットに対応できなかったのだと思います。市場ニーズがなくなれば、伝統であろうが、文化であろうが、消えていくのは必然です。ではなぜ博多織は残り続けたのか。それは博多織が創始された鎌倉時代から、室町時代、江戸時代を経由して明治期へと、時代を経るなかで変化し続けてきたからでしょう。とはいえ、博多織のすべてが変わったわけではありません。博多織を“因数分解”すると、歴史と伝統、素材、技法、デザイン・文様などの要素で支えられていることが分かりますが、そのなかで絹織物の製法は変わることなく受け継がれてきた要素です。その製法が守られていれば最終商品は変わってもいいというのが、私の考えです。ですから「OKANO」では、着物や帯など伝統的な製品だけではなく、現代のライフスタイルに合った多様な商品を開発しています。一方で、「独鈷」(どっこ)や「華皿」(はなざら)などの文様や、絹という素材に関する知見は、大切に守っていかなければならない要素だと考えています。
画像提供:博多織工業組合
神馬:
今ある価値の構成要素を分解し、その組み合わせやパッケージングで、新しい用途や価値を再定義されていらっしゃるのだと理解しました。DXには「守り」と「攻め」があり、こうした価値の再定義は、典型的な「攻め」のパターンですよね。社会を変革する真のDXには、そこが重要だと私たちも考えています。デジタル化されたデータの1個1個は意味を持たないかもしれませんが、それを集めてどう目的化するか、意味化するかで、生み出す価値は変わります。そこが変革を支援していくうえでの私たちの腕の見せどころだと思っています。
岡野氏:
デジタルをどんな目的に使うかは、ブランドの構築でも重要なテーマになります。私は、ブランドの価値とは、メーカーが発信して作るものというよりも、一人ひとりのファンの思いによってコミュニティが形成され、そこから生まれるものだと思っています。私たちの地元でも「博多織がなくなったら困る」と言ってくださる方がたくさんいらっしゃるので、そんな方々の思いを結びつけ、新しいファンマーケティングができないかと考えているところです。SNSを使ってモノづくりのプロセスを共有したり、失われた技術をクラウドファンディングで再生したりすることで、社会的なムーブメントを作らなければ伝統工芸は残せません。そこに、ブロックチェーンや仮想通貨、トークンなどのデジタル技術を活用する可能性を感じています。
神馬:
伝統工芸の保存と発展を“自分事”だと思ってくれる人をどれだけ増やし、巻き込んでいくかが重要ですね。
岡野氏:
その通りです。例えば、1,000万円のアート作品を1人で買うのは大変ですが、1,000人集まれば1人1万円の負担になるので、分散所有することが可能になりますよね。デジタルを使えば、そのようなかたちで文化を残すこともできるのではないかと思っています。
神馬:
価値の生かし方をユーザー側に委ねて広げ、ムーブメント化するのですね。デジタルの本質は、ビジネスをスケールするモデルをいかに創るかにあります。世界的な巨大IT企業は、スケールするモデルを上手に作り顧客に広げてもらうやり方を取ったからこそ、あれだけの成功を収めました。そのアプローチは伝統工芸にも当てはまるのではないかと、私も思います。
デジタル化されたデータの1個1個は意味を持たないかもしれませんが、それを集めてどう目的化するか、意味化するかで、生み出す価値は変わります。
1971年、福岡県生まれ。26歳の時に本家が営んでいた伝統的工芸品博多織の工房を買収。㈱岡野・代表取締役(博多織元 5代目)に就任。伝統工芸の構造的な問題解決のために持続可能なビジネスモデル構築に取り組み、着物業界初の製造小売り体制を確立。日本発の世界ブランドの構築に挑戦中。アーティスト・工房支援の株式会社風土の取締役も務める。
外資系コンピューターメーカーに勤務した後、戦略系コンサルティング会社での20年にわたる経験を経て、PwCコンサルティング合同会社に入社。PwC Japanグループ全体のCDO(チーフ・デジタル・オフィサー)として、デジタル戦略推進活動をリード。
企業戦略策定から組織改革、IT戦略の策定・推進、新規事業設立などの実行支援まで、幅広いクライアントサービスを手掛けている。また近年は、さまざまな業種のDX/全社改革プロジェクトをリードしている。『デジタルチャンピオン~変化適応と新価値創造のための思考とその戦略~』(東洋経済新報社)の監修・執筆を行う。
※ 法人名、役職、本文の内容などは掲載当時のものです。