現実味増す英国の「合意なき」離脱 関税のコスト増や生産遅延のリスク

2018-10-01

英国のEU(欧州連合)離脱の期限まであと半年あまりだが、日本企業はいまだに様子見だ。EUとの合意なき離脱リスクを検証する。

英国によるEU離脱(ブレグジット)の期限である2019年3月29日まであと半年余りとなった。離脱後も英国は、20年12月末までの間、EU加盟国と同様に取り扱われる移行期間についてEUと暫定合意している。予定通り、移行期間に入ると期待しているためか、英国の合意なき離脱対策にほとんど動いていない日本企業が多い状況だ。

PwC Japanグループが18年4月に実施した調査で、回答した日本企業約230社の半数以上が、「(ブレグジットの)影響分析はこれから」と述べている。実際に対応プランを策定したり、実行している企業は2割に満たなかった(図1)。これまで多くの日本企業からブレグジットへの対応や準備に関する相談を受けてきたが、この調査結果は私が受けた印象と合致するものだ。具体的な対策を検討しプランを策定できている日本企業は少ない。

しかし、足元では英国とEU間で何の協定も結べないまま決裂する「合意なき」離脱、いわゆるハードブレグジットの可能性が高まってきているといえる。実際、英国政府は8月23日、離脱交渉の決裂に備えて、企業や個人に必要な準備や対応を示す文書を公表した。例えば、製薬業に対しては6週間の在庫の備蓄を推奨している。

図1 対応プランを策定、実行中の日本企業は2割程度

販売不可の英国製品も

実際に「合意なき」離脱に至った場合、EU、特に英国に進出する日本企業には甚大な悪影響が想定される。この7月に発表されたEU側の公表資料では、「合意なき」離脱シナリオを含むあらゆるケースの対応プランを策定する必要があると述べている。

そもそも「合意なき」離脱によりどのような影響を受けるのか。その概要は以下の通りである。

まずは、英EU間のモノの売買について考えてみる。関税については、EU域内の関税同盟により、加盟国間で関税が課せられることはなかった。だが、「合意なき」離脱となれば、世界貿易機関(WTO)の規定に基づき、英EU間の国境で課税されることになる。その影響は業界によって異なる。例えば、製薬業界(最終製品)ではゼロ関税である一方で、自動車では10%の課税となるものもある。他にも、衣服や農産物にはより高い関税が課せられることとなる。

英国で生産・検査・承認・登録された製品は、EUで販売できなくなる可能性が高い。「合意なき」離脱の場合、例えば、製薬や化学のような規制が厳しい業界において、英国製品はEU市場で販売ができなくなる。ただし、他のEU加盟国へ製品の承認を移転するなどの必要な手続きを踏めば、継続して販売することは可能だ。

通関手続きも必要

新たに通関手続きも必要となる。つまり、国境におけるすべての輸入品に対して税関申告書の作成及び検査が必要となり、これら業務に伴うコスト負担増、リードタイム(生産工程)の遅延などの不確実性が高まる。

金融サービス、職業専門サービス(法務サービスなど)のような最も規制の厳しい業界では、 英国に拠点を持つ日本企業は離脱直後にEUベースの顧客に対してサービスを提供することができなくなる。

また「合意なき」離脱に伴い、人の移動に関する自由が終わることになる。 英国では新しい移民政策が適用され、特に低スキルのスタッフの移動が厳しく制限されると予想される。この政策により英国においてEU籍の人材を採用する場合、低スキルスタッフの採用が難しくなり、かつ、人件費のコスト負担が増すことが予想される。

つまり、合意なき離脱に伴う規制変更への対応が負担になる可能性が高い。実際に、4月に実施した前述の調査で影響を受ける課題について質問した際にも、「規制法制度変更への対応」が最も多かった(図2)。

以上が、「合意なき」離脱についての主な影響についての概要であるが、次は業界別にその影響を考察してみよう。

図2 英国のEU離脱に影響を受ける課題

金融業界

他のEU国に移転へ

金融業界は、最も規制の厳しい業種の一つである。日本の金融機関は主として英国・ロンドンを拠点とし、欧州単一パスポート制度によって、英国で取得した金融パスポートを用いてEU域内の事業を展開している。「合意なき」離脱により、英国で取得した本パスポートが失効することになり、事業継続のためには他のEU加盟国に金融パスポートを移転・申請し直す必要がある。金融業は監督規制当局からの要請で、「合意なき」離脱に備えた対応プランを提出している。日本の金融機関も、このプランの準備・提出のために時間を要した模様だ。現在は、ハードブレグジットを前提とした対応プランに従って、実行フェーズに入っている。

日本の主要金融機関は、拠点の英国からオランダやドイツなど他のEU加盟国への移転について、すでに公表済みだ。背景には、新たにパスポートを取得するために申請時点から取得に至るまでにそれなりの期間・手続きが必要になるという事情がある。万が一「合意なき」離脱に至ったとしても、事業運営停止という最悪の事態を招かないための対応準備という視点では、最も進んでいるセクターといえる。

製薬業界

安定供給が課題

17年11月、製薬業界の監督当局である欧州医薬品庁(EMA)はロンドンからオランダのアムステルダムへ本部を移転することを決め、すでに移転手続きが進行中である。製薬企業では、英国で取得している販売承認(MAH)を、英国以外のEU加盟国へ移す必要がある。EMAが英国に販売承認を持つ約700社に対してアンケートを実施したところ、対応が必要な対象企業のうち94%は、19年3月28日までに承認拠点の変更のための申請を実施すると回答していた。実際に日本の製薬企業の多くが英国で販売承認を得ているため、準備・対応は17年秋~年末ごろから本格的に検討され、移転に向けて動いている。

関税の観点では、最終製品については関税ゼロであるが、中間品(原料と最終製品の間)などについては課税される可能性が高く、コストアップにつながる。さらにサプライチェーンにも大きく影響を与える。品質管理の機能の移転も必要となる場合がある。

実際には、製品供給が離脱後も可能であるかどうかが課題であろう。患者による薬へのニーズは変わらず、製薬企業として製品を患者のもとへ届けることは大切なミッションであるため、その課題解決は必須だ。さらに、関連する医療機器や化学業界にもそれぞれ規制があるため、英国で取得した許認可関係を他のEU加盟国へ移転するなど、離脱までに対応しておかなければならない。

自動車業界

生産台数減る予測も

製造業の代表格の一つである自動車業界は対応が遅い状況だ。しかし、「合意なき」離脱となった場合の影響は最も大きい可能性がある。

英国自動車製造販売協会(SMMT)によれば、17年の英国での年間生産台数は約167万台でEU内で第4位の規模である。そのうち約8割にあたる133万台が輸出されている。輸出のうちEU向けはその半分以上の54%である。英国の自動車産業には、日本の自動車メーカーが進出しており、生産台数は日産自動車が約50万台、ホンダ約16万台、トヨタ自動車約14万台で英国の年間生産台数の約半数を占める。

自動車業界は、必要な部品を期日通りに納入する「ジャストインタイムシステム」の採用により、部品会社を巻き込んだ複雑かつ精度の高いサプライチェーンが構築されている。部品は英国だけでなく、他のEU加盟国からも輸入しているため、もし「合意なき」離脱となった場合、24年の生産台数は、現状の約167万台から大きく減少して110万台になるとの予測もある。これは、欧州領域での車両メーカー、部品サプライヤーを巻き込んだ大きな社内外ネットワークの再編につながる可能性がある。

また、通関手続きなどの影響により、生産工程が遅れてしまうことも想定される。現在は通関手続きがないことから、例えば、英国とドイツ間の輸出入は約12時間で完了しているが、「合意なき」離脱後は、その6倍の72時間程度必要となる可能性がある。「合意なき」離脱直後の即時対応策の一つとしては、余剰在庫を増やすのが現実的だと見られている。ただ、倉庫のキャパシティーの問題もあることから、中長期的持続性の面から手を打つ必要がある。関税や通関手続きによるコスト増も事業収益性への影響が必至であり、そのための対策も必要だ。英国内で部品を調達することも選択肢の一つだろう。

上記は、日本企業にとっての影響リスクをいくつか述べたにすぎない。これらのリスクを回避・低減するために、自社サプライチェーン、物流拠点、データ、システム、人材マネジメント、EU市場でのプレゼンス、各種契約、税金など多岐にわたりレビューする必要がある。

時計の針は止まることなく時を刻んでいる。英国のEU離脱の国民投票から現在まで、もう2年余りが経過したが、依然として不透明な状況である。今年の秋に突然ハードブレグジットが決定すれば、日本企業のみならず多くの企業が混乱に巻き込まれるとの懸念が高まっているため、危機感をもった対応準備が必要ではなかろうか。

また、「合意なき」離脱によって、一部の企業・事業オペレーションのみならず、経済全体にも大きく波及することから、直接的な影響ではなくとも欧州大陸に進出する日本企業にとっては人ごとではないのだ。

(週刊エコノミスト 2018年9月11日号に寄稿)

舟引 勇

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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