月刊監査役 羅針盤 人的資本経営と開示

2022-11-29

※本稿は、「月刊監査役」742号(2022年12月号)で掲載された記事を転載したものです。
※本記事は、日本監査役協会の許諾を得て掲載しています。無断複製・転載はお控えください。
※法人名、役職などは掲載当時のものです。

(本稿は執筆者の個人的見解に基づくものであり所属法人の公式見解ではない)

非財務情報はいずれ損益計算書に反映される“未財務情報”との声があるが、同感だ。なかでも「人的資本の開示」の議論に注目したい。「人的資本」は我が国の未来を切り開く力の源泉だ。

なのになぜ、今の会計は人の力を資産計上しないのか。それは「人的資本」の所有者が会社ではないこと、そして効果測定が困難だからだ。

従業員のエンゲージメントが高いと、企業は「人的資本」の効果を享受できる可能性が高まる。その一方で、従業員が退職すると、研修や就業により培った「人的資本」が失われる。生まれたアイデアを無形の法的権利として表すことで、従業員による成果の一部を会社に帰属せしめても、それ自体に次の価値を生み出す力はない。我が国の会社法は金銭出資を認めるが、役務提供による出資は認めない。従業員は労働により株主にはなれないが、自らの可能性を表す「人的資本」の所有者なのだ。

従業員にとって働きやすい環境があること、従業員が会社とエンゲージしていることを数値で経過観察すれば、経営の方向性を感じることができる。さらに、過去のデータを解析し「人的資本」への投資がどのような効果を上げたか、その相関関係を定量的に開示する事例がある。過去を振り返る科学的な試みだ。持続的に「人的資本」の価値を高めるには相応の時間が掛かるため、長期投資家にとってはおよそ無視できない情報になる。今は更に進んで、相関関係を超えた因果関係までをどう説明するかの検討が始まっていると聞く。

ただ、変化が著しく、変数が固定できない環境下で、投資と効果を金額換算し、長期の因果関係を未来志向で定量的に説明することがどれほど現実的なことなのか。成功事例と信じた過去の経験をどう再現し、勝ち目があると信じた新しい戦略をどう実現できるか、という問いと同じではないのか。

そうであれば、経営の魂と従業員の受け止めを反映した、企業の文化と日々の行動の在りようにこそ、因果関係を予感させる事実が詰まっているのではないか。それらの事実を立体的に捕捉し、目標と進捗と結果を世に示す。その方が、より直接的で共感できる説明になるのではないか。

「人的資本」の開示の読者は株主や投資家だけではない。働きやすさや働きがいの実態を一番知る存在にして「人的資本」の所有者である従業員は、SNSを通じた匿名の情報発信力を持つに加えて職場選択の力を持つ。我が国の生産年齢人口は、あと数年でY世代とZ世代が過半数を占める。経営にとって都合の良い話だけでは済まないことになる。

長期投資家に「人的資本」の投資と効果の因果関係を説明できる開示を行うには、恐らく従業員との間に真摯で透明性の高い対話があることが前提になる。この関係性の下ではイノベーションや生産性向上が予感できるエンゲージメントが高まるだけでなく、不正等の隠蔽を抑止する力も働くだろう。

そこには、我が国の監査人たる私たちの出番もある。財務情報の監査だけでなく“未財務情報”をどう保証できるか。未来を手繰り寄せる経営の努力も、従業員の共感も、実際に起きたことは確かめられる。経営・ガバナンス・そして従業員による真剣で夢中の姿に共感・理解し、測定する力を高めたい。会計監査の知見に加え、多様な専門家と共に同じ船に乗り、たゆまぬ努力を続けることで、我が国経済の未来につながる健全な発展に貢献したい。

執筆者

井野 貴章

パートナー, PwC Japan有限責任監査法人

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