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リスクアペタイトフレームワークと金融機関経営との関係に関して概説しています。
リスクアペタイトおよびリスクガバナンスに関するサービスについては下記リンク先をご覧ください。
リスクアペタイトおよびリスクガバナンス関連サービス
既に日本における「戦後」と同じ程度の意味しかなさなくなったが、「リーマンショック後」、その有効性についてこっぴどく否定された定量的リスク計測モデルから目をそらすかのごとく、ストレステストやリスクアペタイトフレームワークの高度化に多くの金融機関はまい進した。
同時に、ポストリーマン期においては、人口減少社会の到来が今更ながらに強調され、金融庁長官の弁を借りるまでもなく、収益拡大という幻想は捨て、サスティナブルな利益追求という現実への戦略転換が求められている。と同時に、金融技術革新「FinTech」の流れは強力で、誰もその有効性について異を唱える時間も隙間もなく、多くの金融機関にその存在理由までも含め、大きな変革を迫っている。
このような外部環境変化を含めて、日々めまぐるしく変化し続ける時代にあって「リスクアペタイトフレームワーク」は金融機関経営に資するのだろうか。
自社の戦略目標や事業計画を実現するために、リスクキャパシティーの範囲内において、進んで受け入れるリスクの「種類」と「総量」のことをリスクアペタイトと呼び、リスクアペタイトの設定方法、コミュニケーション方法、モニタリング方法に関するアプローチ全体をリスクアペタイトフレームワークと定義されている *。
リスクにはその発生源(リスクファクター)の観点から、自社の外側に存在するリスクと、自社の内側に存在するリスクとに大別される。当然進んで受け入れる、”テイク”するリスクは自社の外側に存在するリスクがその対象となる。銀行業であれば、当然リスクテイクの主たる対象は信用リスクとなる。
これまでの銀行経営の現場でも、銀行が進んで受け入れるべき「信用リスク」というリスク「種類」に関して、「総量」を与信限度・極度などの概念で規定してきている。これはリスクアペタイトではないのかという疑問が浮かぶが、これも立派なリスクアペタイトであると考えられる。では、何がこれまで足りなかったのか。
1つにはリスクアペタイトの定義(上述参照)の一部である「リスクキャパシティーの範囲内において」という文脈が適切に捉えられているかどうかという点である。具体的には、リスクキャパシティーの線に対して、下図(上)に示しているような状態ではなく、「進んで受け入れる」水準(=リスクアペタイト)までリスクを適切に受け入れているかどうかについて確認されているか、という点である。(下図(下))
「進んで受け入れる」水準(リスクアペタイト)は、リターンを強く求める株主であればより広く、監督当局や債権者から見ればより狭く、というように、本部・本店が勝手に決定することはできない。2つ目のポイントはここにある。信用リスクに関する進んで受け入れる水準が各利害関係者の期待値の最適解になっているか、という点だ。限度額などはこのような分析の結果は踏まえず決定されていることが多い。
ここまではリスクアペタイトの話であるが、リスクアペタイトフレームワークは、このリスクアペタイトに関する設定方法、コミュニケーション方法、モニタリング方法のことであると述べた。人間の体に例えるなら、リスクという血液を送り込む血管が全身に張り巡らされており(コミュニケーション方法)、どこかに異常をきたした場合には即座に症状として把握される状態(モニタリング方法)となっているか、と言う点が3つ目のポイントになる。本部・本店の一部の人間しか興味のない限度額ではなく(1本の太いしかし短い血管しかないような状態)、全ての行員がそれを意識し、それにより職員・行員の行動が統制される状態にまで持っていく仕組みのことを、リスクアペタイトフレームワークと解釈することができる。
つまり、銀行経営における銀行DNAを組織の津々浦々に埋め込む方法論のことをリスクアペタイトフレームワークと呼んでいる。変化の激しい時代においては、上意下達だけの組織や、現場が全てのボトムアップ組織は生き残れない。全ての細胞組織が自律的、かつ統制のとれた形で動くことができる組織のみが、このような変化の激しい時代の荒波に淘汰(とうた)されず生き残れる。
現代の銀行経営において、リスクアペタイトフレームワークは絶大な威力を発揮するであろう。
*金融安定理事会“Principles for An Effective Risk Appetite Framework”