企業に求められる人権への対応

2017-09-01

サステナビリティ・コンサルタントコラム


2000年の国連グローバル・コンパクトの発足や2011年のビジネスと人権に関する指導原則(ラギー原則)の採択を機に、国内法規制やソフトロー(※1)などの制定が進み、ビジネスと人権に関する議論が活発化してきています。伝統的には、人権を保護し尊重する責任を負うのは、国家であると考えられてきました。しかし、1990年代以降、グローバル化を背景に多国籍企業が増加し、企業の活動範囲が、各国政府の管理できる主権の範囲を超えるようになりました。その結果、これまでのように国家のみに人権保護の責任を任せるだけでは不十分と考えられるようになり、企業にも人権を保護する責任が求められるようになりました。

ここでは、企業に人権尊重の対応が求められるようになった背景と、実際に企業が対応すべき内容について、ご紹介したいと思います。

なお、文中の意見は筆者の私見であり、属する組織の見解とは関係のない旨あらかじめお断りしておきます。

人権とは

西欧における人権概念の起源は、国王による専制政治に対抗する「国家からの自由」の概念にあります。アメリカやフランスの人権関連文書は、自然権に影響を受けており、この考え方は、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」という世界人権宣言の第1条にも反映されています(※2)。人権は、時代の流れに沿って、その分野、適用地域、対象者を拡大して発展してきました。拘束力のある条約を作成しようという動きは、ヨーロッパで最初に起こり、欧州人権規約(1950年調印、1953年発効)が締結されました。その後、市民的および政治的権利に関する国際規約(自由権規約)、経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(社会権規約)の2つの国際条約(1966年採択)が生まれます。こうした背景から、人権は西欧的であると批判されることもありますが、米州人権条約(1969年)、アフリカ人権憲章(1981年)と地域的な人権条約が作成されるなど、どの文化圏にも「人権」に相当する考え方がかねてより存在していたことが認められつつあるとともに、各地域の実態に即した人権保護の在り方が検討されるようになってきています。

人権の発展の図

出典:PwC作成

企業に人権尊重が求められる背景

多国籍企業の増加、企業による人権侵害の事例発生やそれを非難する市民社会の声の拡大を背景に、企業による人権侵害を規制する枠組みが設けられるようになっています。前述の通り、人権は、かつては国家が保護の責任を負っており、その場合は国家が影響力を及ぼすことができるのは自国の管轄権の範囲の企業に限られていました。原則として企業の行動に直接の制限を求めるような国際的な条約は存在しない中で、自由権規約や社会権規約等を通じた国家に対する要求事項ですら各国の国内法化の過程でその対応にはばらつきが生じ、中には十分な人権保護体制を構築できない途上国もあり、そうした地域でビジネスを行う企業に対して法的に具体的な人権保護に係る行動を求めることは困難な状況にありました。

そのような中、多国籍企業による人権侵害の事例が実際に発生し広く報道されると、企業に対しても人権保護を求めるような社会的要請が徐々に高まりました。ビジネスと人権に関する指導原則に代表されるような法的拘束力のない基準に加えて、近年では各国国内の法律によっても、企業が遵守すべきルールが構築されつつあります。こうした流れが、投資家などさらに多様なステークホルダーの関心を引き付けていると言えます。

ビジネスに関連する人権を規制する枠組みの図

出典:PwC作成

人権侵害のインシデント

人権侵害のインシデントが発生すると、企業のブランドは直接的なダメージを受けるため、その後の企業による対応の変化につながるケースが多く見られます。多国籍企業の中でも、社会的に批判を受けた後にサプライチェーンにおける社会・環境対策の見直し、強化を行い、現在では優良企業と考えられるようになった例もあります。

最近のインシデントとしては、2013年のバングラデシュにおけるラナプラザ縫製工場ビルの倒壊が記憶に新しいのではないでしょうか。昨年バングラデシュの縫製工場を訪問する機会がありましたが、同事故の影響を受けて、縫製工場は、現地工場経営者からの要請のみならず、バイヤーである多国籍アパレル企業の方針に従い、建物の安全性を担保したり、工場労働者の労働環境への配慮をしたりといった対応を進めていました。多国籍アパレル企業は、サプライヤーである縫製工場における人権の保護について、必ずしも法的な責任があるわけではありませんが、インシデントを通じて社会的な関心が高まり、自主的に行動をとるようになった事例と言えます。

国内法による企業への人権保護要求

2015年3月に英国で制定された現代奴隷法(Modern Slavery Act 2015)は、企業に対し、サプライチェーンにおける奴隷労働に関するステートメントを提示することを求めています。同法は、人身売買や強制労働といった形で、権利が認められず他者の所有物として扱われている奴隷(世界に約3,580万人(※3)存在すると言われています。)を特定し、根絶することを目的としています。ステートメントの公表義務を負うのは、「世界での売上高が3,600万ポンドを超える」企業で、かつ「英国で事業を行う」企業が対象となるため、英国に子会社を持つ日本企業などは、法律の内容を正確に把握しそれに従う必要があります。該当する企業は、毎年(1)同年度に事業活動およびサプライチェーンにおいて、奴隷労働を防ぐためにとられた対策の内容、あるいは(2)そのような対応をしていないこと(※4)、のいずれかをウェブサイトなどに示すことが求められます(※5)。

英国現代奴隷法に類似の内容を規定する法律には、米国カリフォルニア州のサプライチェーン透明法(California Transparency in Supply Chains Act of 2010)があります。ほかにも、2017年2月にはフランス議会が企業に対して、自社の事業とサプライチェーンにおいて人権侵害が起きていないかを監視し、リスク軽減策の効果を測定し、報告書を発行するよう求める法律を可決しました(※6)。

こうした国内法で企業に人権への配慮を求める動きは世界的に広まりを見せており、今後も欧米を中心に類似の法律が制定されていくと考えられます。

さまざまなステークホルダーへの広まり

人権侵害にかかわるインシデント事例や、国内法を通じた企業への人権配慮の高まりに応じ、さまざまなステークホルダーが、企業による人権への配慮の関心を持つようになっています。

例えば投資家目線の活動例としては、世界規模で企業の人権に関する方針や活動を格付けする初のイニシアチブ「企業の人権ベンチマーク(Corporate Human Rights Benchmark: CHRB)(※7)」があります。作成には、大手機関投資家や調査会社が関与していることもあり、今後、同ベンチマークの結果が株主や機関投資家による投資先判断の際に利用されることが想定されています。

また、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けても人権・労働・公正な事業慣行などへの配慮というテーマは持続可能性を担保する不可欠な要素として重要視されています。「持続可能性に配慮した調達コード 基本原則(※8)」には、例えば以下のような人権に係る条項が含まれています。

 

「サプライヤーおよびライセンシーに対し、製造・流通過程において、人種、国籍、宗教、性別、性的指向、障がいの有無などによる差別やハラスメントが排除され、また、不法な強制立ち退きなどの権利侵害の無い物品・サービスなどを提供することを求める。」

「サプライヤーおよびライセンシーに対し、製造・流通過程において、強制労働や児童労働がなされておらず、安全・衛生が確保されており、労働者の諸権利が法令に照らし確保されている物品・サービスなどを提供することを求める。」

 

また、2017年6月時点では、この基本原則を基に「持続可能性に配慮した調達コード(第1版)」が策定されており、東京2020大会のサプライヤーは、当然これらの調達基準を守ることが求められます。また、スポンサーもこうした基準に則り運営されているオリンピックにかかわる以上、基準に沿った事業活動を行うことが望ましいでしょう。東京2020大会では、通常以上に日本企業が世界の注目を集めることを考慮すると、必ずしも直接的に関わりのないその他の企業もNGO、市民団体、メディアなどによって、対応が不十分な人権問題への対策について批判を受ける可能性があります。

企業に求められる対応

では、企業による人権への配慮がますます求められようになっている状況の中、具体的に企業は何を行えばよいのでしょうか。

ビジネスに関連する人権問題とステークホルダー

人権問題という言葉を聞くと、日本国内では同和問題・外国人労働者といった差別の問題が連想されることが多いように思います。しかしながら、世界人権宣言が以下の通り多様な権利を規定しているように、人権は差別の問題のみに限定されません。企業が人権保護のために対策を講じる場合には、各社の事業形態に応じて、自社にとって最も関わりが強く、対応の必要性が高い人権課題と関連するステークホルダーを個別に判断することが求められるとともに、コーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティ(CSR)部だけでなく、場合によっては調達部や人事部など関係部署との幅広い連携が不可欠です。例えば、労働者の権利はどの企業にとっても重要なテーマですが、危険な機械や薬品を使う工場を有する会社はより労働者の安全・衛生に配慮する必要があります。パーム油、パルプ、コットンなどの原料を調達する企業は、生産地で働く人が適切な労働環境で働いているかを考慮するとともに、周辺コミュニティにネガティブな影響を生み出していないか、チェックしなければなりません。情報通信分野の企業は、他セクターの企業よりも多くの個人情報を扱う可能性があり、プライバシーの権利保護のために注力することが求められるのです。

世界人権宣言に規定されている人権

出典:世界人権宣言を基にPwC作成

企業が実施すべき取り組み

企業が実施すべき取り組みとしては、2011年国連人権理事会によって採択された「ビジネスと人権に関する指導原則」の第二の柱「人権を尊重する企業の責任」を参考にすることができます。同文書は、企業に対して、主に(1)方針、(2)人権デュー・ディリジェンス・プロセス(※9)、(3)是正を可能とするプロセス、を設置することを求めています。さらに、(2)の人権デュー・ディリジェンス・プロセスについては、「人権への負の影響を特定し、防止し、軽減し、そしてどのように対処するかということに責任をもつために、企業は人権デュー・ディリジェンスを実行すべきである。そのプロセスは、実際のまたは潜在的な人権への影響を考量評価すること(リスク評価)、その結論を取り入れ実行すること(施策の実施(※10))、それに対する反応を追跡検証すること(評価・モニタリング(※10))、およびどのようにこの影響に対処するかについて知らせること(レポーティング(※10))を含むべきである。」と詳述されています。

企業が実施すべき取り組みの図

出典:ビジネスと人権に関する指導原則を基にPwC作成

企業がこれらの要求に対応していくために、PwCでは、リスク評価、計画策定、施策実施、パフォーマンスの評価・モニタリング、レポーティングのステップで支援を提供しています。例えば英国現代奴隷法においても、はじめからすべての人権対応を完璧に実施することが求められているわけではありません。企業は中長期的に取り組みを進めていくことになります。その点、最初のリスク評価が肝心であり、大まかに重要なエリアを絞ったうえで詳細リスクを把握する努力をしていくことが、限られたリソースを有効活用するには不可欠と言えます。日本の企業は網羅的に調査することや、完璧に実施できた取り組みのみを公表することを好む傾向にあると思います。しかし、特に人権への配慮のように企業の義務が必ずしも明確でない場合には、狭い範囲であってもまずは実行に移し、それを対外的に公表していくことが求められていると考えます。今後は、こうしたリスク評価およびその後の施策実施を、単に人権の文脈のみで捉えるだけでなく、コスト削減や環境対応などと合わせて広くバリューチェーン全体の最適化を図るための取り組みの一つと位置付けることで、会社にとっての意義がより大きくなり、実行への積極性が高くなるのではないかと期待しています。


注記

※1 法的な強制力はないが、現実の経済社会において国や企業が何らかの拘束感をもって従っている規範を指す。

※2 世界人権宣言テキスト

※3 グローバル・スレイバリー・インデックス 2014(Global Slavery Index 2014:GSI)

※4 企業は、奴隷労働を防ぐ具体的な対策を取っていないという事実を公表するのみで、義務を果たすことにはなるが、一方で風評リスク が発生する可能性が高いことには留意が必要である。

※5 詳細は、PwCUKの説明資料 "The Modern Slavery Act, How should businesses respond?"(英文)を参照。

※6 Law No. 2017-399 of March 27, 2017 on the "Duty of Care of Parent Companies and Ordering Companies (Devoir de vigilance des entreprises donneuses d'ordre)"

※7 CHRB ウェブサイト

※8 公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会「東京 2020 オリンピック・パラリンピック競技大会持続可能性に配慮した調達コード基本原則

※9 企業がコーポレートガバナンスの一貫として、組織の決定や活動が社会・環境・経済に与える負の影響を認識し、防止・対処することを言う。

※10 カッコ内は筆者補足。

榮 加菜子
PwCあらた有限責任監査法人
シニアアソシエイト

インターナショナル・デベロップメント・チームにおいて、日本企業の途上国進出に関わる調査・コンサルティングサービス、人権分野を中心とした社会リスクアセスメントおよびサステナブル調達方針・基準導入支援サービスを提供。入社前はインターンとして国際機関で子どもの人権保護活動等に従事。

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