(左から)小林 信一朗、鈴木 康敬 氏、細井 裕介
※本稿は日経ビジネス電子版に2025年5月に掲載された記事を転載したものです。
※法人名、役職などは掲載当時のものです。
2050年のカーボンニュートラルに向け、自動車メーカーの取り組みは電動化を中心に進んでいる。ただ、電動化は使用時のCO₂排出量を劇的に減らす効果はあるものの、従来のガソリン車がすべてEV(電気自動車)に置き換わったとしても、それだけで自動車に関連するカーボンニュートラルが達成されるわけではない。本田技研工業株式会社(以下、Honda)のサプライチェーン購買本部 調達企画部で部長を務める鈴木康敬氏は取り組みの背景をこのように説明する。
「電気自動車は、ニッケルやリチウムといった希少資源を多く使用するため、採掘や精錬時のCO₂排出量が増えてしまいます。最終的に目指すゴールはあくまでもゼロなので、使用時だけでなく、製造時やさらに上流の部品製造時のCO₂削減にも取り組む必要があります」(鈴木氏)
本田技研工業株式会社
サプライチェーン購買本部 調達企画部 部長
鈴木 康敬 氏
※肩書きは2025年3月時点
鈴木氏が話す「上流の部品製造時のCO₂削減」は、すなわちサプライチェーン全体でCO₂排出量をいかに減らしていくかのチャレンジとなるわけである。
「自動車部品メーカーや材料メーカーが生産時に排出するCO₂、すなわち自動車OEMにおけるScope3カテゴリー1は、自動車のライフサイクルで排出されるCO₂全体の約20%を占めます。お取引先(仕入れ先や納品業者など)との協働でこれを減らしていくのが購買部門の使命だと思っています」(鈴木氏)
鈴木氏の説明を受け、「私たちも環境負荷をライフサイクルで捉え、パワートレインの電動化だけでなくお取引先と協力してCO₂削減に取り組むことが不可欠と考えています」と話すのは、PwCコンサルティング合同会社のディレクターで、スマートモビリティ総合研究所におけるモビリティGXエコシステム形成のプログラムディレクターを兼任する細井裕介氏である。
(左から)小林 信一朗、細井 裕介
PwCコンサルティング合同会社
ディレクター
スマートモビリティ総合研究所
モビリティGX & Ecosystemプログラムディレクター
細井 裕介
PwCコンサルティング合同会社
ディレクター
小林 信一朗
同氏は「米トランプ政権による影響は見極めが必要であるものの、自動車業界を含めて世界的にサステナビリティ情報開示を強化する流れがあります」とその影響を鈴木氏に問う。
「今後数年間で、日本のSSBJ(サステナビリティ基準委員会)、欧州のCSRD(企業サステナビリティ報告指令)やCSDDD(企業サステナビリティデューディリジェンス指令)が施行されます。当社としては、Honda本体や資本関係のあるグループ会社から段階的にこれらへの開示対応を進めていますが、やはり自グループだけでなく、すべてのお取引先にも協力いただき、サプライチェーン全体で考えていく必要があると思っています」(鈴木氏)
従来からHondaは脱炭素に向けた取り組みを続けてきたが、取締役 代表執行役社長の三部敏宏氏の下でカーボンニュートラル宣言が発信された2021年以降、製造から使用までのライフサイクル全体でCO₂排出量ゼロを目指す取り組みがより加速したのだという。
「サステナブルなモビリティ社会をつくっていかなければ、自動車業界に関係するすべての企業が立ち行かなくなるという当社のメッセージは、サプライチェーンに関わるお取引先各社に響いたと思います。もはや他人事ではいられないという危機感は共有されているのではないでしょうか」(鈴木氏)
ライフサイクル全体でカーボンニュートラルを目指すにあたって、細井氏は「自社の判断により削減を推進可能なScope1・2と異なり、Scope3カテゴリー1の削減で重要となるのはお取引先各社との密なコミュニケーションです」と指摘する。その密なコミュニケーションのポイントはどこにあるのだろうか。
鈴木氏は即座に「徹底した見える化です」と回答する。
「私たちはお取引先に対してCO₂排出量の削減をお願いする立場ですので、進捗の実態を可視化する必要がありました。そこで、今年からお取引先のScope1・2のCO₂排出量を把握するプラットフォームシステムを導入し、削減目標に対する計画や進捗をデータとして入力いただいています。
「このシステムの対象となるのは、現在のところ国内の主要なお取引先約300社です。目標に対する現在地や進捗度を理解することでやるべきことが明確になり、お取引先の自主展開にドライブがかかることを期待しています」(鈴木氏)
出典:Honda 提供資料「取引先CO2削減展開の見える化システム」を基にPwC作成
Hondaは取引先のScope1・2のCO₂削減計画・施策・実績の見える化システムを導入。取引先の削減努力が反映できるようになった。取引先と協働で、一層の省エネを継続するとともに、太陽光発電など再生可能エネルギーの活用や電化の推進、燃料置換など、段階を踏みながら、CO₂排出量の削減を進めていくという
同プラットフォームシステムについて、検討を支援するPwCコンサルティング合同会社 ディレクターの小林信一朗氏は、「お取引先の生産量や仕入れ量からCO₂排出量をみなしで算定するのではなく、お取引先に直接入力いただく方法は本質的である一方、入力にご協力いただくことの難しさや、その精度に課題があると考えています。そういった課題にはどのように向き合っているのでしょうか」と訊く。
鈴木氏は「システム入力時にエラーを検知できる仕組みを導入し、入力ミスの防止や再提出にかかるお取引先の工数を少しでも減らすよう努めています。また、入力頂いたデータをスコアカード化してお取引先・Honda双方がシステムを介して効率的に確認できるようになり、CO2削減展開についての対話により多くの時間を割くことができるようになりました。単に提出をお願いするだけでなく、双方がこれらのメリットを活用することで、削減活動を加速させるとともに、お取引先との信頼関係を強化できると考えています」と応じた。
「単にデータを集めるためのシステムではなく、そういったコミュニケーションを円滑に行う、双方にとってWin-Winになるような信頼関係の構築に努められていることがよく分かります」(小林)
Hondaの国内の主要取引先が約300社あるとすると、すべての取引先とフラットにコミュニケーションを取ることは難しく、何らかの優先順位が生まれるはずである。
「ポイントの一つは、CO₂排出量の多いお取引先です。電気自動車を1台生産する際、バッテリーの製造工程でCO₂排出の約半分を占めているので、こことは優先して取り組みを進めています。また、社会的責任や開示の観点から、Hondaのグループお取引先とのコミュニケーションの機会を増やし、定期的な勉強会や現場訪問を実施しています」(鈴木氏)
細井氏がサプライヤーとの具体的なコミュニケーションの内容を尋ねると、鈴木氏はこのように答える。
「事業が二輪からスタートしたこともあって、規模の小さいお取引先が多いのが当社の特徴です。CO2削減の必要性は理解しても、十分なノウハウがないという悩みを抱えているケースが少なくありません。そこで、どのような困りごとがあるのかをヒヤリングし、Hondaが自社で培ったCO2排出量の管理手法や削減手法などを共有するようにしています。部品や原材料を作ることで手いっぱいのお取引先に対して、私たちがどうサポートするかは非常に重要です。取り組みに悩むお取引先の背中を押すことで、全体的な底上げにつながればと考えています」(鈴木氏)
コンサルタントとして国が主導する中小の自動車サプライヤーの支援事業にも従事している細井氏は、「業界内で力のあるプレイヤーが自社の知恵をお取引先に共有しながら社会を変えていく動きは裾野の広い自動車産業を変革する上で非常に重要だと考えます」と、Hondaの姿勢に共感する。
さらにHondaは、サプライヤーコミュニケーションの取り組みにおいて、各取引先のモチベーションを引き出すことも重視している。
「当社では、QCDDEなどの各領域においてとくに優れた取り組みを進めてこられたお取引先の表彰を実施しています。旧来の『環境部門賞』から観点を広げ、2017年度よりESG全領域における優れた取り組みをされたお取引先に対し、『サステナビリティ部門賞』としてCO₂削減や環境保全活動などを表彰するようになりました。特徴の一つとして、絶対的な削減量だけを評価するのではなく、事業規模など各社それぞれで異なる状況も考慮して取り組みを評価することを意識しています。また、発注先を選定する際の評価軸として、CO₂削減への取り組み状況を追加することも予定しています」(鈴木氏)
「二輪事業を持つ経緯から小規模お取引先とのビジネスもあるHondaらしい進め方だと思います」(細井)
Hondaの今後のサプライチェーンコミュニケーション、そしてサステナビリティへの取り組みはどのようになるのだろうか。
「前述のシステム導入で、現時点における将来までの削減計画は可視化されたと思っていますが、ここから先は簡単ではありません。設備投資のコストも考える必要がありますし、これだけ変化が大きいと、自分の現在地が分からなくなることもあると考えています。まずは数年後をイメージしながら120%ぐらいの背伸びで届きそうな目標を1つずつクリアしていければと思います」(鈴木氏)
細井氏は今後の課題について、「環境負荷低減に必要な設備投資やETS(Emissions Trading System、排出権取引制度)による炭素コストが事業経営の負担となることも予想されますが、メーカーだけでなく社会全体でコストを負担していく方向へと意識変革する必要も出てくるように思います」と指摘する。
これに対して、鈴木氏も「CO₂排出にお金がかかる時代が来ることを見越して計画的に投資を進めている経営者もいますが、特定企業だけがコストを負担するのは限界があります。国や社会の問題として考えないといけないと思います」と社会全体での取り組みの重要性を強調する。
「サステナビリティの取り組みは、現場でコツコツとCO₂削減の努力をするところから、国際的な規制までを見渡す必要がありますが、業界の内部にいると分からないことや全体がつかめないこともあります。業界比較や国際比較も含めて助言いただけるのは大変助かっていますので、今後もご支援いただけることを期待しています」(鈴木氏)
「提言だけにとどまらず、あるべき社会に向けて私たちも一緒になって議論し、トライしながら伴走させていただければと思います」(小林)
(左から)小林 信一朗、鈴木 康敬 氏、細井 裕介