デジタルトラストの構築に向けたPwCのアクション:サイバーリスク管理の社会的高度化‐サイバー保険の現場から(東京海上日動火災保険)

東京海上日動火災保険株式会社の石原 康史氏、PwCあらた有限責任監査法人の加藤 俊直

IoT(Internet of Things)やコネクテッドデバイスなどの普及に伴い、サイバー攻撃の脅威は近年、ますます増しています。高度化・複雑化するサイバー攻撃に対しては、完全な防御を前提としない「インシデントレスポンス」や、ビジネスの視点に立脚した「レジリエンス戦略」が求められます。そのような状況で、サイバー攻撃に対する備えの選択肢として注目されているのが「サイバーリスク保険」です。日本では提供が始まって日が浅い同保険ですが、今後はセキュリティ対策の一環として需要が高まることが予測されます。「サイバーリスク保険」の内容や日本における浸透の度合い、さらにはその意義について、実際にサービスを提供する東京海上日動火災保険株式会社の企業商品業務部 部長 石原 康史氏に、PwCあらた有限責任監査法人の加藤 俊直がお話を伺いました。(文中敬称略)

※備考
本対談は2019年11月13日に開催された「PwC’s Digital Trust Forum 2019 デジタル化する社会におけるサイバーセキュリティとプライバシー」のセッションを基に再構成したものです。役職・肩書きは開催時のものとなります。

対談者

東京海上日動火災保険株式会社
企業商品業務部 部長 石原 康史氏

PwCあらた有限責任監査法人
パートナー 加藤 俊直

サイバーリスクを「早期発見・早期対応」の理念でカバーする商品設計

加藤:
サイバーリスク保険について、まだなじみのない方も多くいらっしゃると思います。まずはその内容と、なぜそのようなサービスが生まれたのかを教えてください。

石原:
サイバーリスクを補償する保険商品としては、2つに大別できます。サイバー攻撃を受けた際、「物的損壊を伴う損害」を補償するものと「物的損壊を伴わない損害」を補償するものです。物的損壊とは、サイバー攻撃によってシステムが誤作動を起こし、火災などが発生した場合を指します。この場合は、既存の火災保険や動産総合保険など従来型商品で対応できます。しかし、物的損壊を伴う損害を対象とした保険商品は、もともとサイバー攻撃を想定していません。ですから今後は、補償の内容も変わってくることが想定されます。既に海外では、サイバー攻撃による物的損壊の補償について、補償の対象外にしたり、保険料を追加したり、別契約で保険金額を設定したりする動きも出ています。

現在、サイバーリスク保険として販売されているのは、原則として物的損壊を伴わない損害を補償する商品です。東京海上日動で最初にサイバーリスクを想定した保険を発売したのは、2004年のことでした。当時は「個人情報漏えい保険」という名前で、個人情報の漏えいが発生した場合の賠償リスク・費用損害リスクを補償する内容でした。2015年になって、個人情報漏えいに加えて、Web改ざんやDDoS攻撃なども含めた不正アクセス全般に補償を拡大した「サイバーリスク保険」を発売しました。このように、サイバーリスク保険の“起源”は、損害賠償責任のための保険だったのです。

加藤:
サイバーリスク保険は、現在はどのような形に変わっているのでしょうか。

石原:
サイバーリスク保険は、セキュリティ侵害(事故)に起因して発生した損害を補償するもので、補償内容は3つに分けられます。1つ目は損害賠償責任に関する補償、2つ目はサイバーセキュリティ事故対応費用に関する補償、そして3つ目が業務のネットワーク中断に関する補償です。国内でカバーする内容には、情報漏えいなどによる損害賠償金や争訟費用の他、フォレンジック(セキュリティ事故の原因究明調査)やクレジットモニタリング(カード取引の監視)、謝罪広告、被害者へのお見舞金といった危機管理対応費用、逸失利益・営業継続の費用などがあります。

加藤:
サイバーリスクに焦点を当てた結果、サイバーリスク保険は今までの火災保険や動産総合保険と大きく考え方が変わってきている点があるとのことですが、具体的にはどのような点なのでしょうか。

石原:
サイバーリスク保険は、外部からの通報で不正アクセスなどのおそれが発見された時、外部機関への調査依頼費用も補償の対象になります。つまり、「損害が発生しているかどうかわからない『おそれ』の段階でも補償する」のです。これは、保険商品の中では珍しいケースです。

その理由は、サイバー攻撃の特殊性にあります。一般的な事故とは違い、不正アクセスがあったかどうかを認識するのは難しいのですね。疑わしい事象は膨大であり、ユーザー企業が全件を分析することは困難です。そもそも攻撃者は攻撃の痕跡を残しませんから、セキュリティ専門家でなければ発見できません。

加藤:
サイバーリスク保険は、「不正アクセスされているかどうか明確には判断できないけれど、外部通報によりそのリスクが顕在化しているのかもしれない」といった状況でも、フォレンジックなどにかかる費用をカバーしてもらえるのですね。

石原:
はい。サイバー攻撃は早期発見・早期対応が肝心です。仮に調査の結果、サイバー攻撃がなかったと判明しても、その調査にかかった費用を契約者から回収することなく保険金を支払います。外部調査依頼費用を保険金で賄うことで、早期に十分な調査ができ、被害拡散防止も期待できます。実際、顧客企業のIT部門の方からは「外部専門家を使う際には費用の関係から社内承認に時間と手間がかかっていたが、外部への調査依頼費用も保険金で早く支払ってもらえるため、承認プロセスを過度に意識する必要がなくなった」と、ご好評をいただいています。

東京海上日動火災保険株式会社 企業商品業務部 部長 石原 康史氏

PwCあらた有限責任監査法人 パートナー 加藤 俊直

日本ではサイバーリスク保険の普及が遅れている

加藤:
サイバーリスク保険を取り巻く状況について教えてください。米国企業と比較すると、日本企業のサイバーリスクに対する意識は低いと指摘されています。

石原:
一般社団法人日本損害保険協会が発表した「サイバー保険に関する調査 2018」によると、回答に応じた従業員300名以上の日本企業1,113社において、サイバー保険への加入率は12%でした。また、米国のサイバー保険市場は約2,100億円規模なのに対し、日本の市場は200億円規模にとどまっています。

加藤:
日本企業には、サイバー攻撃が差し迫ったリスクであると捉えていない傾向があるのでしょうか。

石原:
1つには、サイバー攻撃に対峙する意識の違いがあります。米国企業は「自社でシステムを守る」という意識が強いですが、日本はシステムインテグレーター(SIer)などの委託先任せにしてしまい、当事者意識が薄いように思います。特に中堅・小規模企業ではリスクに対する意識が低い場合が多く、人材・コストの不足などからもその対策が遅れているのが現状です。

また、米国では個人情報漏えい時に消費者へ通知する義務があります。しかし、日本では消費者への通知や公表に関する規定がないのですね。サイバーリスクを「経営の課題」と捉えている経営者が少ないことも、要因の1つでしょう。

加藤:
経済産業省が発表した「サイバーセキュリティ経営ガイドライン」では、「セキュリティ投資は必要不可欠かつ経営者としての責務である」と言い切っています。裏を返せば日本の経営者に対し、「あなたの責任で対策をする必要がある」と自覚を促したのですね。

石原:
大規模企業であれば、ある程度のセキュリティ対策を実施しています。ただし、グループ会社やサプライチェーンへの対策は、これからの取り組みになります。一方、中堅・小規模企業のセキュリティ対策は、十分とは言えません。まずは、自社のセキュリティリスクを棚卸しし、現在のセキュリティ対策に存在する脆弱性の把握とその対応策の検討をする必要があります。

加藤:
サプライチェーンを狙った攻撃にはどのように対処すべきでしょうか。

石原:
サプライチェーンの中でも脆弱な部分を狙ってくるので、中堅・小規模企業が狙われる可能性は高いです。たった一か所の脆弱性がサプライチェーン全体に影響を及ぼし、甚大な被害を発生させ得ることを、各企業は自覚しなければなりません。

サプライチェーン全体のセキュリティ対策を強化するためには、一定レベルのセキュリティ対策基準が必要になるでしょう。さらにそのセキュリティ基準を、サプライチェーンに参加する全ての企業が満たさなければならない、という取り決めを策定する必要があります。

サプライチェーンに組み込まれている中堅・小規模企業のシステムが攻撃され、(関連する企業の)取引先に被害が及んだ場合には損害賠償責任が発生する可能性があります。そうした際に最低限のセキュリティ基準を設けていれば、その基準を軸に(企業側の)過失か否かの判定ができます。

加藤:
セキュリティに関する明確な基準があれば監査もしやすいですね。

サイバーリスク保険への加入は企業ブランド向上にも貢献

加藤:
サイバーリスク保険を実際に提供される石原さんから見て、同保険に加入するメリットは何だと思われますか。

石原:
主に2つあります。1つはセキュリティ対策コストの抑制です。

セキュリティ対策を実施する上では、リスクアセスメントが必須です。つまり「守るべきものは何か」「自社が保有している情報資産にどれだけの価値があるか」を把握し、「どのような脅威があるか」「大きな影響を受けるリスク事象は何か」「発生する可能性が高いリスク事象は何か」を特定し、事象ごとに対応を検討するのです。

リスクアセスメントの結果、技術的なセキュリティ対策でリスクを低減させることは可能ですが、あらゆるポイントを最大限にカバーするには多額のコストが必要です。社内外を問わず全てのユーザーおよびデバイスを信頼しないことを前提とする「ゼロトラスト」のアプローチが注目される中、多額のコストをかけたとしても、全てのリスクをゼロにはできません。

そうした状況においては、サイバーリスク保険の活用は「リスク移転」になります。結果としてセキュリティ対策のコストが抑えられるという発想です。

加藤:
もう1つのメリットは何でしょうか。

石原:
企業ブランド価値の維持への貢献です。サイバーリスク保険への加入は、リスク管理・対策の取り組みをステークホルダーに示す有用な手段になり得ます。十分なセキュリティ対策を講じていることが大前提ですが、サイバー攻撃を受けて事故が発生した場合でも、サイバーリスク保険へ加入していれば、「リスクに備えている企業」であることが訴求できます。これには、金銭的な補償以上のメリットがあると考えています。

例えば、少し前の事例にはなりますが、2015年に米国のある小売業者が、7,000万件以上の個人情報を流出させました。その企業の株価は、サイバー攻撃を受けた直後に大幅に下落しました。しかし、後にサイバーリスク保険に加入していたことが判明すると、株価はサイバー攻撃前の水準に回復したのです。備えていたという事実と、備える企業姿勢であることが市場に評価されたと理解しています。

可視化と情報開示がサイバーリスク管理向上のカギ

加藤:
最後に、東京海上日動が考える、サイバーリスク保険提供の先に目指す企業のセキュリティ対策のあり方について教えてください。

石原:
まず、私たちは2015年10月から「サイバーリスク総合支援サービス」を提供しています。これは、サイバーリスク保険に加入している顧客企業に対し、リスク診断サービスやセキュリティベンダーを紹介するものです。これは企業によっては専門事業者の情報が不十分であり、セキュリティ技術・ソリューション技術の有効性の判断が困難ということがあり、当社に情報提供を求める声が多く寄せられたため始めたものです。

また、2017年10月からは同サービスの一環として、「サイバーリスクベンチマークレポート」を提供しています。同レポートは、企業が直面しているサイバーリスクの要因を多角的に分析し、技術的リスクと攻撃者のモチベーションなどの人的リスクの指標をスコアリングしています。これにより企業は、自社のサイバーリスクを同業他社と比較したり、毎年のスコアリングの推移を定点観測することができます。

しかしながら、日本国内ではサイバーセキュリティの情報がなかなか広まらないということもあって、2020年1月末より、新たにサイバーセキュリティ情報発信サイト「Tokio Cyber Port」を開設しました。サイバーセキュリティの情報を、企業の皆さまに日常の身近なものとしていただき、企業のサイバーセキュリティ対策の一助となるとともに、技術革新の後押しをしていきたいと考えています。

企業がサイバーセキュリティに関する情報を定期的に取得できるようにし、かつ、セキュリティ対策についてステークホルダーに適切に開示していくことが、今後は非常に重要になると考えています。

加藤:
とはいえ多くの企業は、セキュリティ対策やサイバー攻撃の有無に関する情報を公表したがりません。

石原:
確かに日本では「セキュリティ対策を公言すると、犯罪者から狙われる」と考える経営者がいます。しかし、それは間違いです。グローバルでビジネスを展開するなら、自社の取り組みを国内外にアピールし、一定の情報公開をしていくべきでしよう。米国では、どのようなセキュリティ対策を講じているかをオープンにする流れに向かっています。逆に対策を公表しないと、事件が発生した際に株主などのステークホルダーから「何の対策も講じていなかったのでは」との厳しい目が向けられます。前述の小売業者のように「このレベルまで対策をしていましたが、攻撃されました」と言えば、市場は評価するのです。

今後、企業は自社のセキュリティ対策の取り組みを積極的に発信し、エビデンスとして残していく必要性が、社会からより要請されるでしょう。サイバーリスク保険への加入とその過程で行われるリスク見直しや対策は、企業のリスク管理における大きな手段の1つとなるはずです。さらに言えば、各社がそのような取り組みを当たり前のように行うようになれば、日本社会のセキュリティ水準の向上にも寄与すると信じています。サイバーリスク対策に取り組もうという機運を社会全体で高められるよう、私たちは保険という立場から貢献していきたいと思います。

主要メンバー

加藤 俊直

パートナー, PwC Japan有限責任監査法人

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