[Value Interview]平野 温郎 氏

平野 温郎 氏

東京大学 大学院法学政治学研究科 教授

1982年三井物産株式会社入社、国内および香港・中国・米国各現地法人にて法務等を担当。1988年~1990年同社中国法務研修員(在台北、上海、北京)。2013年より現職。国際取引法フォーラム理事長、国際取引法学会および国際商取引学会理事。

[聞き手]

大塚 豪

PwCアドバイザリー合同会社 フォレンジックサービス パートナー 弁護士

PwC Japanグループのフォレンジックサービス部門リーダー。グローバルIT企業でのコンサルティングを経験後、総合商社の社内弁護士として多様な事業分野の事業投資や危機対応、不祥事対応などの実務経験を有する。近年は品質不祥事、会計不祥事への対応に多く関与している。

※法人名・役職などは掲載当時のものです。

海外展開する日本企業で不正・コンプライアンス問題が相次ぐ背景

大塚

近年、日本の企業グループによる会計不正や品質(データ)偽装、贈収賄やカルテルといった不祥事が次々と発覚し、世界に衝撃が走っています※。こうした不祥事は個々の企業はもちろんのこと、社会に対するインパクトも非常に大きいのが特徴で、海外からも「日本企業は一体どうなってしまったのだ?」という論調で語られることも珍しくありません。このような日本企業が直面するコンプライアンス上の問題について、見解をお聞かせください。

平野

総合商社の法務部門でこうした事態を扱っていた経験からすると、実はほとんどが古くて新しい問題で、さほど驚きはないというのが正直な印象です。企業が本格的な国際展開や新規事業への進出をする中で往々にして起こり得る問題であり、日本企業に限ったものでもありませんから。

大塚

同感です。このような不正の中でも特に将来的に深刻な危機へ発展しがちなものとしては、価格などに関するカルテルや海外の公務員などへの贈賄などが挙げられますが、これらの事案に共通する特徴はどこにあると考えますか。

平野

まず、国内の案件と比べて定量と定性の両面から被害の影響が大きいことでしょう。これはグローバルに事業を拡大したことやクロスボーダーM&Aで異質の事業領域やユニットを取り込んだことによる必然的な結果とも言えます。そして、決して大企業に限られるわけではなく、中小企業も含めて海外展開する上で同様のリスクを抱えるといった普遍性が表れてきたと感じています。

また、日本企業の場合は組織的な行為を疑われるものも含めて、内部者による不正や過失、あるいはリスクマネジメントの失敗に起因するケースが多い印象があります。こうした事態が生じるのも、内部統制やリスクマネジメントの体制に不備があるということの表れだと言えるのではないでしょうか。

※ 参考資料:PwC’s View 第16号

実体験から見た、米国と中国そして日本のリスク顕在化事例の特徴

大塚

平野さんは、商社時代に法務担当として中国や香港、米国に駐在されていましたね。そこで実際に経験もしくは遭遇された不正・コンプライアンスリスクの顕在化事例には、どのような地域的特徴がありましたか。

平野

新興国と先進国という大きな観点では、財務報告の不正など共通したものもある一方で、性質的な差異が大きいと感じました。これには構造的な背景も影響しているものと思われます。

まず、中国に関して言うと、私が駐在していたのは2006年頃までなので状況が変わっている部分もあるかもしれませんが、国の急激な成長とともに市場競争も激化する中で、コンプライアンスを軽視し、ビジネスを最優先した結果としての法令違反系が多かったですね。

次に、米国については、法令違反やインシデントそのものの問題もさることながら、社会であるとか個人の権利意識の強さに対する対応姿勢が十分でないことにより、被害が拡大する傾向が強かったです。

典型的な例としては、従業員による人種差別に対するクラスアクション(大規模集団訴訟)が挙げられます。米国でこのような事態に陥りやすいことには、構造的な背景があるのではないでしょうか。通常、日本から赴任する駐在員というのは現地で管理職以上のポジションで登用されるので、現地法人のスタッフからすれば自分たちが「ガラスの天井」の下に置かれているという意識を募らせがちです。そうした状況に対する長年の不満が溜まっている中で、何かきっかけとなる出来事が生じると、内部もしくは外部への告発につながるわけです。

大塚

ええ。米国には日系企業を対象にしたクラスアクションを専門に扱う弁護士事務所が少なからず存在していて、ホームページなどでも積極的に宣伝しています。日本企業はすぐに和解金を支払う傾向にあるので、そうした意味でも訴訟に持ち込まれやすいと言えるでしょう。

ちなみに日本でも多くの顕在化事例を経験されているかと思いますが、国内の傾向について平野さんはどう感じていますか。

平野

日本の場合はだいぶ古典的な印象がありますね。自分が経験した例で言うと、繊維関係の循環取引がありました。季節性の強い取引であるため、取引先への資金協力であるとか、売り買い戻し─いわゆるBuy-Sell取引などが、決算対策のために行われていたわけです。
このような特殊取引は全て社内稟議に掛けるシステムにはなっていたのですが、チェックの形骸化や、審査側の担当者の知識や意識レベルの問題などから、必ずしも適切に機能しない場合があったのです。こうした事例は古典的とはいえ、完全に防ぐことは難しいのだと実感しました。今後、発展途上国などでも同じことが起きる、体制不備による負の歴史が繰り返されるのではないかと懸念されます。

大塚

平野さんのご経験から、もう一つ大事な原則が示されていると思います。不正・コンプライアンスリスクの顕在化というのは完全に防ぐことが難しいからこそ、やはり地道な内部統制およびリスクマネジメントの体制づくりが重要になるわけですね。

平野

そのとおりです。とりわけ海外展開においては重要でしょう。

リスクマネジメント体制づくりのポイントは高い「水準」を設けること

大塚

では、その大事なリスクマネジメント体制をどのように構築するかですが、ISO31000ではリスクマネジメントについて「リスクについて組織を指揮統制するための調整された行動」と定義しています。これはつまり、経営陣の業務執行の一環そのものであると言えますよね。具体的には、リスクを効果的に運用管理するための構造であり、その実質は内部統制活動に類似するものです。

そして海外子会社についても、日本の会社法では企業グループにおける内部統制を求めています。従って、海外子会社も国内子会社と同様に、定性的、定量的な事業目的の達成のために内部統制の仕組みをつくる必要があるわけですが、その具体的な方法論について過去のご経験からどのような見解をお持ちでしょうか。

平野

基本的には非常にシンプルで、海外子会社を管理するための方針・ブループリントを明確化し、浸透させ、持続的に実施すればいいということになります。ただしポイントは、内部統制の「水準=スタンダード」をどのぐらいのレベルに定めるかでしょう。一般的に、アジア諸国をはじめとした新興国における法的規制やコンプライアンス意識は緩く、構造的な問題も影響して現地企業の取る水準は低くなりがちです。一方で、外資企業に対する法規制は強化される傾向にあるのに加え、社会の発展によって権利意識の拡大や訴訟多発化も起きています。そうなると、国ごとに個別のスタンダードをつくっていたのでは、漏れが起きたりトレンドを見逃す可能性が高いと言えます。

そこで関連諸法制や法の執行がより厳格で、域外適用もあり得る欧米のベストプラクティスを基本にして、対象子会社所在国の法制度についても、原則として加重的に考慮しながら決めるべきだと思います。

大塚

欧米のベストプラクティスで求める内部統制の水準に、基本的に海外子会社も合わせていくというアプローチですね。私もそれが現実解であると考えます。

顕在化したリスクにいかに向き合うか

大塚

リスクが顕在化するとクライシスとなり、今度はクライシスマネジメント─つまり、被害を最小限にとどめるための事後的な処置であるダメージコントロールが求められてきます。ここでのポイントについて、平野さんから日本企業へのアドバイスをお願いします。

平野

やはり初期対応がとにかく重要なので、顕在化の兆候にできるだけ早く気付くことができるリスクセンシティビティ(リスク感応度)が最大のポイントとなるでしょう。併せて、どのような対応をどういった順序で進めていくかをあらかじめ決めておくことも大事です。最低限、危機対応組織とマニュアルの整備、専門家ネットワークの構築、クライシスマネジャーを決めておくことぐらいは必要でしょう。

大塚

顕在化したリスクと向き合い、必要以上のダメージを受けないために、リスクマネジメントとクライシスマネジメントをコインの表裏と捉えて平時から準備を整えておく必要があることが、読者の皆さんにもよく伝わったことと思います。ありがとうございました。

(本文中敬称略)