「営業秘密」の保護と利活用

第3回:無形資産の戦略的保護―営業秘密管理体制の要諦―

  • 2025-08-01

当インサイトはシリーズとして構成しており、本編はその第3回目となります。

前回の記事では、日本の営業秘密保護に関する法的枠組みを中心に、米国、EU、中国などの主要国と比較しながら、その特徴や課題について解説しました。営業秘密漏えいの訴訟に至ると、企業にとって時間的・経済的コストが非常に大きいことから、訴訟リスクを未然に防ぐための内部体制の構築が極めて重要であることに言及しました。

本稿では、その内部体制構築の中でも「営業秘密保護の組織体制」に焦点を当て、どのように責任の所在を明確化し、最適な管理体制を構築すべきかについて解説します。

Section1:組織体制における課題

営業秘密保護の実務において、「情報(技術情報・営業情報・経営情報など)の棚卸し」が最初のステップとして位置付けられることが一般的ですが、残念ながら多くの企業ではアクションに結び付いていないのが現状です。その背景には、1)経営層の認識不足と2)組織のサイロ化による統制困難という構造的な組織課題が存在しています。

1)経営層の認識不足

経営層の多くは、営業秘密保護を単なるコンプライアンス項目の一つとして矮小化して捉えてしまう傾向にあります。AIやデジタル技術の進展により、データ利活用の重要性は認識されており、社内の情報保護の必要性についても一定の理解はあるものの、その対策は「社内の情報がインターネット上に流出しなければよい」という安易な発想にとどまっているケースが多く見られます。

つまり、どの情報が企業の競争力に直結する重要な営業秘密なのかを特定し、それらを経営戦略と紐付けて体系的に保護・管理していくという視点が不足しています。その結果として、営業秘密保護に関する体制整備や人材育成への投資が後回しにされ、必要な予算や人員が十分に配置されず、実態として情報の重要度に応じた定義や棚卸しに至っていないという状況が散見されます。データドリブン経営への移行が進む中、営業秘密を含む情報資産を部門横断的に集約・整理し、それらを戦略的に保護・管理する体制の構築は、経営上の重要課題として再認識される必要があります。

2)組織のサイロ化による統制困難

多くの企業において、営業秘密は組織の縦割り構造によって分散管理されています。技術情報は研究開発部門、顧客などの営業情報は営業部門、製造ノウハウは製造部門、経営戦略は経営企画部門というように、各部門がそれぞれの情報を独自に管理している状況です。このような分断された体制下では、全社的な視点で情報の「価値」と「リスク」の両面から評価を行い、統一的な管理基準を策定することが極めて困難な状況となっています。さらに、各部門が保有する情報の棚卸しを実施するための権限や責任の所在が不明確であり、実効性のある取り組みを推進できない状況に陥ります。

また、営業秘密保護における各部門の守備範囲にも課題があります。法務部は秘密保持契約の管理に長けているものの技術情報の戦略的価値やリスクに基づく評価を的確に実施するのは困難です。知的財産(知財)部は技術情報の管理は得意ですが、営業情報や経営情報への関与が限定的、情報システム部はセキュリティ対策には強みがありますが、IT以外の経路によるセキュリティ管理が不十分です。人事部門においては、退職者の競業避止義務や秘密保持義務の管理を担当していますが、保護すべき営業秘密の判断基準が不明確なため、退職後の情報漏えいや内部不正といったリスクへの実効的な対応が困難となっており、社員への注意喚起や退職手続きにおける情報管理がセキュリティコンプライアンスの観点からも十分に機能していないのが実情です。調達部門では、サプライチェーン全体での営業秘密保護の必要性は認識しているものの、取引先との秘密保持条項の範囲設定や実際の情報管理体制の確認が不十分な状況です。このような組織体制の場合、営業秘密の統一的な管理・保護を実現することが極めて困難な状況となります。

Section2:営業秘密管理体制の構築に向けた組織的アプローチ

効果的な営業秘密管理体制の構築には、まず経営戦略との整合性を確保した上で、経営層による明確な課題認識とコミットメントが不可欠であり、経済産業省の「営業秘密管理指針」においてもこの点は明記されています。同指針では、「企業が『自社にとって大事な情報を、大切に保護する』ことが営業秘密保護の出発点である」と強調されています。経営層自身が旗振り役となり、形式だけに終わらない実効的な管理体制を構築することがポイントです。

理想的には、経営層直下に専門組織を設置し、全社的な情報収集・評価権限を付与するとともに、当該組織として法務・知財・技術評価など一定の専門性を確保することが求められます。さらに、人事部門による退職者管理や競業避止義務の運用、調達部門によるサプライチェーン全体での秘密保持体制の構築、物理セキュリティ管理部門による入退室管理、製造部門での技術情報の保護、IT部門によるデジタル情報の管理など、各専門組織との密な連携体制の構築が不可欠です。また、定期的な教育・研修プログラムを通じて秘密保護に関するリテラシーを向上させるとともに、秘密管理をKPIに組み込み、適切な秘密保護への取り組みに対するインセンティブを設計することで、部門を超えた協力関係と秘密保護意識の高い組織文化を醸成することができます。

しかしながら、全ての企業がこのような理想的な体制を即座に構築できるわけではありません。そのような場合の現実的なアプローチとして、各部門の代表者による横断的な秘密管理委員会等を設置し、明確な責任者の下で重要度の高い情報から段階的に取り組みを進めることが考えられます。

まとめ

営業秘密保護において、「情報の棚卸し」は確かに重要な最初のステップとなりますが、その前提となる「どの情報を営業秘密として定義するか」という基準の明確化と、それを支える組織体制の整備がより本質的な課題と言えます。経営層の強いリーダーシップの下、部門間の壁を越えた統一的な管理体制を構築することが、効果的な営業秘密保護の第一歩となります。

コーポレートガバナンス・コード(CGC)においても、営業秘密を含む知的財産や無形資産の戦略的な管理体制の構築は、企業価値向上に資する重要な経営課題として位置付けられています。2021年のCGC改訂では、企業が保有する知財・無形資産の把握・評価・活用・保護に関する情報を適切に開示し、経営戦略と整合的に運用することが求められており、その実効性を担保するためには営業秘密保護体制の整備が不可欠です。

特に、経営層の関与と社内横断的な体制構築は、CGCが掲げる「持続的な成長と中長期的な企業価値の向上」に直結する要素であると言えます。

PwCでは、企業の実情に応じた現実的かつ実効性のある営業秘密管理体制の構築を支援しています。経営戦略との整合性を踏まえた体制設計から、部門横断的な運用支援、教育・研修プログラムの設計、KPIへの組み込みによるインセンティブ設計まで、幅広い専門知見を生かして伴走型のコンサルティングを提供しています。

営業秘密保護を単なるコンプライアンス対応にとどめるのではなく、企業競争力の源泉として戦略的に位置付けるために、ぜひPwCの知見をご活用ください。

執筆者

藤田 恭史

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

 

橘 了道

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社


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