ある日突然M&Aに遭ったらキャリアをどう変えるか
'05.01.04
プライスウォーターハウスクーパースHRS株式会社
シニアマネジャー
鳥谷 陽一
吸収合併、会社分割、営業譲渡、企業清算、リストラ・・・
ある日突然働いている環境がガラリと変わる可能性は低くない。
しかし、変化に対応できる能力をもっていれば恐れることはない。
| - | 3年後も今の会社にいるという確証をもてますか |
「意中の一流企業に就職できたので安心です。天下の○○なら一生、安泰ですから……」。一昔前、「就職とは就社」であったころ、誰もが知っている企業に就職できた人にとっては、自ら会社を辞めることは「よほどのこと」でしかなかったし、逆に、辞めるという「よほどのこと」をしない限り所属する会社が変わることはなかった。しかしながら、昨今の外資系企業による日本企業の買収、日本企業同士の合併あるいは1企業からの分社・分割など、いわゆる企業再編スキームの実施によって、望まない転職(社)が青天の霹靂のごとく、誰の身に降りかかってもおかしくない時代になってきた。
たとえ、今現在は、歴史も体力もある一流優良企業に所属している人であっても、3年後も必ずこのままここに居るという確証を持っている人は少ないであろう。M&A、会社分割や営業譲渡のほかにも、不幸にもリストラに遭う、企業が清算されるなどの理由で、必然的に別の会社、別の経営者のもとで働くことになる可能性は少なからずあるからだ。働く環境が変わるということは、たとえ同一企業内の部署異動であってもストレスがかかるものだが、さらにそこが別の経営者が運営する企業で、文化や習慣の違った人たちも大勢いる中で、「待ったなし」で働くことを強いられる環境であったら、受けるプレッシャーの大きさは相当なものになる。「報告書の作り方、休暇の取り方、昇進昇格において重視されるものなど、入社以来少しずつ学んできた仕事のルールや習慣は、決して世の中一般の常識ではないということを知って唖然とする」などを皮切りに、その後いくつもの壁にぶちあたることになる。
では、このような予期せぬM&Aによって経営者や働く環境、さらには文化までが変わってしまったら、どのような行動変革、意識改革が必要になるのだろうか、あるいはそのような事態に備えて、いかなる準備が必要になるのであろうか。
まずM&Aなどによって企業が再編する具体的な事例を通して考えてみたい。我々はグローバルな会計事務所系のファームであることから、会社と会社の合併吸収前後の人事諸制度を中心としたマネジメントの融合をお手伝いすることが多い。人事上の施策として、合併前は、給与や退職金などどうしても目に見えやすいコストでそれぞれの企業の価値を測ることが最優先になるのはいたしかたない。しかし、合併後は、そのような目に見える価値ではなく、人の感情やそれらが形成する文化の融合ができず、期待した大きな合併の効果が出ないケースが多々あるので、最近は特にそのような企業文化の融合に力点を置いたソリューションの立案を引き受けることが増えてきた。
そのようなビジネスの中での気づきであるが、新しい組織の中では、違う組織で育った人同士が、お互いのよいところを出し合い、認め合い、向上しようという意識がなければ、合併の効果はかえってマイナスになることもしばしばだ。つまり、企業再編の成功は、その組織を構成する人々が持つそれぞれの感情に大きく依存することになる。しかし、逆にこのような組織の変化をチャンスと捉えているたくましい社員が多い場合は1+1が2以上になることもある。具体的には次のような認識ができている組織である。
確かに、これまでと異なる環境で仕事をするということはプレッシャーもストレスもかかることではあるが、同時に他者のノウハウなどを吸収するいい機会、新しいノウハウを学ぶ機会、つまりキャリア開発の絶好の機会であることは間違いないし、逆に今までの自分のノウハウを他者に惜しみなく移譲することによって、自分自身の価値を高めることにもなるはずである。その結果として報酬を高める機会にも、もちろんつながるはずである。
| - | 上司の顔色や社内派閥抗争に流されるのはやめよ |
昨今、個人のキャリア開発(能力開発)については、「身銭を切ってでも行うべき」とするのが常識とされ、その必要性が強く叫ばれているが、その一方で、このようにアフター5の自己啓発ではなく、仕事そのものをキャリア開発の手段にするということを強く意識できている人は意外と少ない。
キャリアとは、仕事を通して得られる能力である。そして、キャリアは仕事で活かしてこそ意味がある以上、やはり仕事で得たキャリアに勝るものはない。「この仕事は自分のキャリアになる、ならない」と仕事そのものを篩《ふるい》にかけるのではなく、「この仕事の中で自分のキャリアになるところはどこなのか、それはなぜなのか」を強く意識することが重要であり、そのためには初めは漠然とでも「将来は他者に情報提供することで満足を与える仕事がしたい」などのキャリアビジョン(望ましいキャリア開発の展望)を持つことが必要になる。そのようなキャリアビジョン、例えば「営業の専門性を高めたい」という強い意志があれば、人事で採用の仕事に携わる際も、就職情報誌などの営業担当者との交渉を行うことで、顧客の視点から「営業のあり方」を研究することができる。また採用活動そのものは、自社への入社希望者に自社の良さを売り込むプロセスで「営業センス」を発揮する、あるいは、さらに高めていく絶好の機会にもなる。実は、専門性を活かすフィールド(用途)が広がれば、自然にその専門性にも磨きがかかるのである。むしろ、ある程度以上の専門性の深掘りは、用途の広がりがなければなかなか進んでいかない。「穴を深く掘るには幅がいる」という格言は、キャリア開発にもあてはまると考えておきたい。
では実際に新しい組織の中では、何を行動変革や意識改革の「羅針盤」にしていけばよいのであろうか。それは「目的」である。まずM&Aなどの企業再編そのものの目的を理解することだ。再編には決して少なくないお金が動く。銀行であれ、投資家であれ、再編することに何らかの可能性を見出したからこそ多額のお金を出資したはずである。つまり、新しい組織は何を武器として市場で勝ち残っていくのかという誕生の目的と、そのために組織や人はどうあるべきかという戦略があるはずで、まずそれをベースにすべての判断を行うべきである。
| - | 変化に対応できる能力や知力を備えるには |
そしてその中での部門の「目的」、さらには自分の仕事の「目的」、つまり「存在意義」をベースに、(今は何が果たせていないのかを踏まえ)今後はどのような役割を果たしていくべきかを考える。具体的な行動変革はこのようにして考えるべきである。これを機に、上司の顔色や社内派閥の動向などに一喜一憂するのをやめ、常に「目的」に照らした行動を取る、あるいは「目的」をもとにリーダーシップを発揮することを意識したい。
再び話をキャリアに戻そう。自分のこれまでの仕事の足跡をぜひ冷静に振り返って、今の「強み」としての能力とその背景にある要因を分析してほしい。そこには「たまたま営業部門に配属され、そこでたまたま、あるクライアントを受け持つことになったから」とか、「たまたま○○さんと仕事をする機会を得て、その後ろ姿に影響を受けたから」など、偶然の連続が数多く存在することと、今蓄積された専門性はそれを活かした結果であることに気づくはずだ。その意味では「たまたまM&Aによって会社が変わった」というのも、自身のキャリア開発に影響を及ぼす人や仕事を提供してくれる貴重な場になるはずである。
スタンフォード大学で提唱された最近のキャリア開発理論に「Planned Happenstance (計画された偶然理論)」というものがある。これは、「予測のつかない環境の変化に対応するためには、キャリア開発の計画に固執しすぎず、むしろその変化に対応できる『能力』を備えるべし」というものである。これを参考にするならば、まず自分の仕事の未来をある程度定めながらも、その過程で起こる変化を前向きに利用する、逆にまわりの変化に対応しつつも、キャリアビジョンを徐々に明確にしていくという、柔軟な計画性を持つことではないだろうか。つまり、重要なことは、「結局、我々は会社の決定に従うしかないのだ」と逃げ道をつくるのではなく、目の前で起こる偶然の変化を否定せず、「自分のキャリアに確実にとりこんでいく」という強い意志を持って、その環境変化を歓迎することである。
いずれにしても、人は「居心地のいい環境」に慣れ親しんでしまうと、どうしてもそれを守ろうとし、新しい変化を受け入れにくくなる。せっかく築き上げた社内での人脈やそれを利用できる地位、体に染み付いた暗黙のルールなど、それをご破算にするような変化はできれば避けたいという気持ちが働く。そのようなときの、M&Aに代表される企業再編によってもたらされる「有無をいわさない環境変化」は神が与えた試練であると同時に成長の機会と考えることができる。
「ピンチはチャンスだ」という発想や、「ストレスをキャリアに変える」という強い意志を持ってすれば、予期せぬM&Aなど何も恐れることはない。むしろ、それがもたらす環境変化こそが、自らの安住志向・安定志向に喝を入れ、たゆまぬキャリア開発を実現してくれるものなのだというポジティブな意識を持ち合わせておきたい。
(雑誌プレジデント2003年6.30号 「職場の心理学」第77回
「ある日突然M&Aに遭ったらキャリアをどう変えるか」掲載
PRESIDENT Online: http://www.president.co.jp/pre/