会計基準の最前線 ──世界の動向と日本の役割

IFRS(国際財務報告基準)が世界で注目を浴びている中、今後の強制適用をにらみながら、企業への導入について不安を感じている関係者も多いだろう。
IFRSを取り巻く世界情勢、日本の立場と果たすべき役割、日本企業がIFRSに移行する際の考え方など、唯一の日本人として、IFRS設定機関であるIASB(国際会計基準審議会)にて基準の標準化に取り組まれている山田辰己理事に、これまでの経緯や思いも含めてIFRSの最前線についてお話をうかがった。

山田辰己 国際会計基準審議会 理事

PROFILE
Tatsumi Yamada
国際会計基準審議会 理事

山田辰己氏
1976年慶応義塾大学商学部卒業。その後、住友商事、中央青山監査法人を経て、2001年4月より現職。国際会計基準審議会理事。公認会計士。税制調査会委員。

グローバル化に伴い世界110カ国以上がIFRS採用へ

EUが2005年から統一金融市場の会計基準としてIFRSを採用したのをきっかけに、世界中でIFRS採用の動きが広がっています。
興味深いことに、EUの決定に直ちに反応したのがオーストラリアとニュージーランドでした。中国も2007年からの適用を決めました。中国は自国基準に書き直しているので、品質の同等性について指摘する声もありますが、形としてはIFRSに近いものになっています。
さらに韓国、カナダ、ブラジル、インド、イスラエル、シンガポール、台湾が2010~13年の採用を公表しています。
自前で基準を設定する力が不足している国にとって、IFRSを採用すれば、自国のイメージや財務諸表の品質に対する信頼を醸し出せるというメリットがあります。そのため途上国での採用が加速化し、110を超える国が導入を決めています。
アメリカが2007年11月に外国登録企業に対して調整表なしでのIFRSの利用を認めたことも追い風となりました。
アメリカでは内部統制の評価やディスクロージャーを強化するサーベンス・オクスリー法(SOX法)を導入後、ニューヨーク証券市場での資金調達コストが高くなってしまい、上場を取り止め、EU市場にシフトする企業が出てきました。そうした企業を引き留めるために、アメリカも自国基準に固執していられなくなったのです。

金融危機で消極姿勢に転じたアメリカの逡巡

山田辰己 国際会計基準審議会 理事今後の論点はアメリカ企業へのIFRS適用です。現状のように同一市場で複数の基準を並存させると、比較可能性の低下と投資家に対する負担が生じます。米国基準とIFRSの両方を把握し、差異を比較したうえで意思決定するのは、投資家にとって大きな負担となります。
また、世界中に多数の子会社を持つ多国籍企業の場合、IFRSに対する潜在的ニーズがあります。子会社が用いているIFRSを米国基準に変えるコストと、本社がIFRSに変えるコストを比べれば、後者のほうがはるかに安いわけです。
こうした状況を踏まえて、2002年から米国基準とIFRSとのコンバージェンス(共通化・収斂)が進められてきました。これによって大きな差異がなくなれば、米国基準からIFRSへ円滑に移行できると、SEC(米証券取引委員会)は考えています。
ただ少し気がかりなのは、メアリー・シャピロSEC委員長が2009年1月に、IFRSに関して消極的な発言をしたことです。金融危機の根が深く、SECにとってIFRS問題の優先順位はさほど高くありません。傷ついたアメリカ企業に、IFRS導入にかかる追加コストを求めにくいという事情もあるのでしょう。
それでも、世界経済のグローバル化に対応して、企業の業績を測る物差しの標準化が必要なことは明白です。アメリカは高い品質のIFRSと投資家保護という2つの点で、IASBの活動に影響力を行使したいはずです。
いずれ世界経済は回復します。多少の遅れはあるかもしれませんが、最終的にアメリカもIFRS導入に向かうと、私は考えています。他に選択肢はありません。

金融庁の慧眼が光ったIFRS採用ロードマップの決定

日本では、2009年6月に企業会計審議会がIFRSアドプション(採用)に関する中間報告(ロードマップ)を公表しました。中間報告によると、2010年3月期からIFRSの任意適用が可能となり、2012年頃に決定が行われると強制適用は2015~16年頃から始まると見込まれています。
ここ1~2年で急展開しているように見えるかもしれませんが、国際ルール適用への流れは1990年代からありました。橋本龍太郎首相(当時)が提唱した日本の金融市場の改革に端を発します。
日本の行政府として初めて「国際的な金融市場となるためには、世界で通用するルールを日本の金融市場でも通用させなくてはならない」という強烈なメッセージを打ち出したのです。
その結果がいわゆる会計ビッグバンとなり、IFRSと米国基準のよい部分を採って日本の会計基準が改定されました。今回のIFRSをめぐる議論も、その延長線上にあると考えられます。
アメリカが逡巡している時に、日本がIFRS採用という方向性を明確に掲げたことは、金融庁の慧眼と言えます。
世界第二の経済大国の決定には大きな影響力があります。アメリカの背中を押しましたし、中国も自国基準に書き直していては信頼が得られないと悟り、アドプションに向けて準備を始めました。日本は、会計基準が国際的に1つになっていく流れに大きく舵をきる貢献をしたと、私は思っています。

世界で貢献するためにはIFRS設定に積極的な参加を

山田辰己 国際会計基準審議会 理事これからの日本が果たすべき役割はIFRSの設定に貢献することです。外野からモノを言っていても何も始まりません。IFRSという船に乗ったうえで、意見を言うことが大切です。
IFRSの設定は、独立した個人の専門家で構成されるIASBが行っています。各国の代表という立場をとらないのは、国などの利害に妥協せずに、高品質な基準をつくるためです。
IASBはヨーロッパの組織だと思っている方が多いかもしれませんが、決してEUの言いなりになっているわけではありません。EUはIFRSの最大の利用者であり、その地位を利用してIASBにさまざまな要求を突きつけてきます。国際的な観点でルールづくりを行うIASBとは、常に緊張関係にあります。
2009年1月、IASBのボードメンバー数が14人から16人へと増やされるとともに、地域割りが導入されました。これは、世界各国に使ってもらう以上、各地域の声を聞けるような配分にしないと、受け入れてもらえないからです。
北米4人、ヨーロッパ4人、アジア4人、アフリカ1人、ラテンアメリカ1人、残り2人は地域を問いません。アジアは当初、日本とオーストラリアでしたが、中国とインドが加わりました。
これまでの貢献や現在の経済力を考えると、日本から2人参加したいところです。金融庁がIFRS採用を決めたこと、世界基準をつくる枠組みを強く支援していることから、この悲願はおそらく実現されるだろうと思います。

IFRSを理解するためには地球規模で考えるパラダイムシフトを

IASBで貢献するためには、日本独特の考え方を植えつけようという狭い考え方に捉われていてはいけません。世界の秩序や標準をつくるために、日本人の経験と英知をどう反映させられるかを考えていくことが重要です。
ボードに2人参加した暁には、そのうちの1人にはぜひIASB議長を目指してもらいたいと思います。欧米の利害が対立する時に、第三極であるアジアからの議長がいれば、調整が図りやすく、大きな貢献ができます。現時点では荒唐無稽に聞こえるかもしれませんが、日本はそういう人材を輩出する力や可能性が十分にある国です。
議長を出すという目標を掲げれば、国際的な議論をさばける、日本の利害だけに拘泥しないなど、人材選びの基準も明確になります。特に大手監査法人は、英語力があり、国際的な視野を持った優秀な人材を育ててほしいと思います。
IFRSの設定において、日本は3つの点に注意しなくてはなりません。
まず、世界の統一基準になることは必然的に政治性を伴うということです。各国の力関係によって、妥協せざるをえない場面も出てきます。
2点目は、世の中に多様な考え方があり、傷み分けの可能性もあることです。
たとえば、日本やアメリカでは当期純利益を重視していますが、EUには包括利益で十分だという考えもあります。現行のIFRSを用いた財務諸表の中には当期純利益を経由しないものもあります。
こうした場合に、日本の考えがすべて通るわけではなく、常に100%の勝利は難しいことを理解しなくてはなりません。
3点目は、日本が、今後もIASBの会計基準の設定に深く関わり、世界に向けて正鵠を得たメッセージを発信するためには、世界の政治情勢や最新情報を的確に把握し、共有しなくてはならないことです。
世界情勢をめぐる情報をまったく欠いたまま一方的に批判するやり方は、国際的に見ると非常に滑稽に映ります。世界を納得させるためには、日本という小さなマーケットに拘らず地球レベルで考え、先を見据えた議論が必要です。
これは大きなパラダイムの変化を意味します。金融庁、ASBJ、日本経団連、経営者、経理担当者、さらには会計士も、視点を変えていかなくてはなりません。

日本企業にとってIFRSは恐るるに足らず

山田辰己 国際会計基準審議会 理事最後に、個々の企業がIFRSを導入する時の注意点に触れたいと思います。IFRS適用は負荷の大きかったJ-SOXの再現ではないかと危惧しているかもしれませんが、恐れることはありません。
日本の会計基準はすでに8~9割はIFRSと同じなので、テクニカルな面で驚くことはほとんどないはずです。
もちろん、大企業は連結グループ内でマニュアルを整備したり、四半期決算のために迅速な会計処理へと統一したり、IT面の対応などが必要になるでしょう。しかし、J-SOXの経験を活かして、経営の効率化と結びつけながら導入コストを抑えていけるはずです。
問題があるとすれば、IFRSのベースとなっている考え方を理解することでしょう。基準が出来上がった趣旨や背景をきちんと理解する必要があります。
また、IFRSの原則の重要な部分を正しく理解し、それを経営トップに咀嚼して伝えられるような人材が必要になります。各社に少なくとも1人、IFRSに精通する人材を育成するとよいでしょう。原文は英語で書かれているので、理解するための英語力は必須と言えます。

IFRS採用で試される企業の意思決定力と経営思想

IFRSは原則主義を採っていて、日本基準のように細かいガイダンスは設定していません。そのため、判断に迷う場面も出てくるはずです。
その場合、企業は会計士に頼るのではなく、IFRSの基準を読み込んで趣旨や背景を理解したうえで、今直面している問題をどのように会計処理するか、自ら意思決定しなくてはなりません。会計処理をめぐって、経営者の方針や判断力が試されるわけです。
たとえば、金融商品の会計基準の中で持ち合い株の特例に関する議論があります。国際的に、日本的な持ち合いは長期的な営業関係をつくるための戦略投資として認められつつあり、特別な取り扱いが必要だという議論にいたっています。
つまり、上場株に投資していても短期的な株価の上下を指標に判断すべきではなく、時価の変動はOCI(その他包括利益)に入れて、当期純利益に反映させない、という考え方です。
だとすれば、売却した時も当然、当期業績には影響させてはならないはずです。当期に損失が出たから、持ち合い株を売却して業績をよくしたり、買収防衛の脅威がなくなったので売却して益出しするといったやり方は、利益操作と見なされても仕方ありません。持ち合い株は、いかようにも使える融通無碍なものであってはなりません。ここは経営者の志が問われる部分だと思います。
会計基準が原理原則のみを示しているため、当面は解釈において多様性が出てくるのは避けられません。業界内の標準的な会計処理の確立に向けて、多様な解釈を収斂させていくプロセスを経るのだと思います。
このプロセスでは、たとえば、アナリストが業界レベルで財務諸表を比較して、同じ状況下で異なる会計処理が行われているのはなぜか、経営者の判断がどう違うのか、と問いただすといった取り組みが欠かせません。
最後に、IFRSのポジティブな側面にも目を向けていただきたいと思います。今後は、IFRSさえ知っていれば、世界中の財務諸表が読めるようになります。世界中に多数の子会社を持つ大企業は、子会社の財務諸表がすべてIFRSで統一されれば、チェックも容易にできるようになるのです。会計士や経理担当者はIFRSを知っていれば、世界中のどこでも会計の専門家として就職し、国際舞台で活躍することができます。
貿易立国である日本にとって、基準の標準化は決してマイナスではありません。国際ルールを用いて業績を表示すれば透明性が増し、日本企業の活動に対する信頼が高まります。そのためにも、IFRSは必要なインフラなのです。企業の方々には、IFRSの導入に積極的に取り組んでいただければと思います。